日本はおろか、韓国や台湾、中国など東アジアの出生率の鈍化に歯止めがかからない。この状況は極めて特異といえるもので米国でもアジア系の出生率だけが突出して減っている。ヒスパニックや黒人、欧米系の人種に至ってはアジア系よりもはるかに高い出生率を保っている。
出生率の低下が招くことの一つとして挙げられるのが世界の成長センターの変遷である。人口が多ければ、なおかつ若い人が多ければそこの地域の勢いはすさまじいものになる。これを人口ボーナスといったような表現であらわすこともあるが、日本は1960年にこの効果を身をもって経験し数ある欧米諸国をごぼう抜きしたうえで世界第二位の経済大国にまで上り詰めた。
人口ボーナス期の国家がどれほどパワーを持っているのかはすでに日本以外のアジア諸国でも見なくてもわかるほどに結果が出ている。中国やアジア小龍などの地域でも同様に人口爆発が起き、世界の工場として今日に至るような影響力を持つようになった。そして、そのパワーシフトは、まさに人口ボーナス期にある国家が優遇されることは誰が証明しなくても、歴史が証明してきている。
韓国ではすでに出生率が0.7台に乗っており、これは人口維持をするのに必要な2.0をはるかに下回る数値である一方で、中国や台湾でも1.1と、日本以上に出生率が低下している。このような具合で出生率を心配するものの、基本的に出生率が低下すること自体がどのようなメリット・デメリットがあるのかは予測されるのみで現実的にどうなるのかまでは詳細にはわかってはいない。
そして、その最先端にあるインドは、今まさに人口ボーナスの恩恵を受ける直前にいるといっていいだろう。世界中の大半の国々がインドを重要国だとみており、なおかつ同国の超富裕層の増加率は欧米の2割に対して8割となる見込みで、明らかに次の「中国」となることが確実といえる。そして、コロナショックであまり注目されていないものの、注目に値するべき地域として挙げられているのが「東南アジア」だ。
マレーシアやベトナムといった国はコロナ明けの経済成長率が8%に達するなど、これは中国の6%台よりもはるかに高い。日本は1%ほどであるため、この数値がいかに大きいものなのかが伺える。実際、中国に拠点を置いていた企業が東南アジアの各地域にそれを移しつつある現状もまた事実であり、今後の世界経済の主役になりうるのがインドや東南アジアであることは間違いないだろう。
一方で、このような東アジアでの出生率が低い、という風に述べてはいるものの、下がっているのはこの地域特有の現象というわけでもない。確かに欧米圏などでは東アジア程の下がり方はしていないが、全体的に下落傾向であることは確かである。このままいけば、アフリカや中東地域を除くほとんどすべてのエリアで人口減少を経験することになるとみられており、それもまた不可避だともいえる。
覇権国、という言葉を地政学や現代社会史において時折聞くことがあるが、この言葉自体が人口と非常に深くかかわっているようにも思える。そもそも、覇権国家が成り立つ条件はただの人口が多い国という条件があればいいわけではない。覇権国の条件として挙げられるのが、その国自身が持つ強力な欲望、生存欲や支配欲であったりする。このような欲望の存在がなくならない限り覇権国について議論する話題は尽きることはないだろうが、そのようなことが起きることは絶対にないといえる。
しかし、国家の衰退が招くものはかつてのアテネやローマ帝国、最近でいうと欧州各地の状況を見るとわかりやすい。有名な例で挙げればアメリカ主導のパックスアメリカーナなどはそれにあたる。第二次世界大戦後に世界情勢の主役に出たのはアメリカとソビエトであったが、1989年にはソ連はそこから退場し、2010年代ごろから中国が勢いをつけてきてはいる。しかし、中国とソ連の違いはあまりにも多く、端的に新冷戦と冷戦と比べることができるほど簡単ではない。
現状、覇権国と呼ばれる国家は存在しておらず、これまで覇権国として認識されてきたアメリカでさえそのような立ち位置にいるとは言い難い状況である。今後の世界情勢を考えたとき、どうなっていくのかはわからないが、一国がヘゲモニーとなり、他の国からうらやましがられる、という状況は当分起きないのではないかと考えている。それはいわゆるGゼロの時代ともいうべきか、Greatな国家が存在しない時代が到来しているということである。こんなことを言うと、大体中国かインドが次の覇権国だという意見が出てくるが、インドも中国もこれまでの西欧のような「ヘゲモニー」を推進しているわけではないし、それは歴史から見えてくることでもある。
つまるところ、国家間での競争というのは今後そこまで意識されて行かないのではないかと考えている。これまでの歴史を振り返るとそれがどれほど異質なものかはなんとなく想像できるかもしれないが、同盟や枠組みというのは飽くまでも枠組みであり、国家間の競争を前提としているわけではない。
これまではイギリスやオランダ、スペインなどの新機軸に魅了されてきたが、これからはその新機軸がわかりにくく、細分化されつつある時代に入っていくだろう。だからこそ、国という単位で見ても何がいいのか、悪いのかがわからなくなる。まるで万華鏡のように、見ただけではすべてが美しく違いが判らない、何がいいのかはっきりしないというような状況が増えていくだろう。
Gゼロの時代の厄介なところはわかりやすい参照先がないことでもある。日本だったらこれまでは古代中国や中世欧州、近代のアメリカがまさしくグレートな参照先だったが、これからはどこがグレートといえるのだろうか?これがないというわけだから、参照先なき時代での日本という、日本史史上初めての経験を日本はしていくだろうと考えている。これは別段恐れる必要はなく、これまで日本の歴史で見られなかった日本の一面が見れるということでもあり、非常に面白くなるのではないかと考えている。