インターネットをめぐる詐欺事件やトラブルは後を絶たない。そして、それ以上に誹謗中傷や著作権侵害など、取るに足らないほどにそのデメリットは深化している。今回は、そんなずだぼろのインターネットについて、これから起こりうる可能性のある「教習化」について考える。
米国で話題になっている暗号資産事件の一つであるトルネードキャッシュ事件は、まさに、Webツールを制限した例として語られていくとみられている。
Web2のスローガンは「素早く動いて破壊すること」だったらしいが、Web3ではそのようにはいかなくなるだろうと見識者は述べている。
VPNやWhois情報検索ツール、AI補助ツールなど、多くのWebツールが出てきた最近において暗号資産に関するツールはかなりのインパクトがある。そして、そのミキシングサービスなどなおさらである。
結局のところ、核爆弾と同じようにテクノロジーは使いようであることが証明されてしまったわけであるが、これからのインターネットを考える際に「さらなる規制の強化」は免れないだろう。
自動車が登場した過去の時代において、運転免許という存在はどのようなものだったのだろうか。英語でDriver Licenceなる免許は、今では多くの身分証明書に使われている。しかし、デジタル化が激しい現代において自動車に乗る人は少なくなり、人々は通信手段にかまけるようになった。もちろんこれもまた時代の一幕だと思われ、そのうちインターネットも自動車のように古びた存在になっていくと考えられる。
それを考えれば「インターネット免許」はかなりの確率であり得ると思ったりする。例えば、web上で使えるSNSツールや送金アプリ、そのほか移動、教育、医療などの、多くの分野においてWebツールの源泉が行われるだろうと考える。
最終的に向かうところは「インターネットの自動車化」だとは思うが、それはどのくらい未来の話なのだろうか。そもそも、インターネットなど通信技術と、自動車を端的に比較することは正しいと言えるのだろうか。
車は非常に便利だが、インターネットはそれ以上に便利だ。これに関して異論を唱える者はいるかもしれないが、ほとんどの場合、賛成が多数だろう。もちろん、「適当に」考えてである。
自動車とインターネットにはどこか似ている部分があるということを言いたいのだが、実際のところどこら辺が似ているのだろうか。
✓ 自動車:道路というインフラ、そして過去に起きてきた交通戦争
✓ ネット:送電線、電波塔というインフラ、現在進行形で起きている事件やトラブル
いささか上記だけ見れば、交通戦争を経てきた自動車の歴史は味が深いように見える。しかし、自動車とインターネットには圧倒的に異なるものがあり、それが普及速度である。自動車が出てきてからというもの、それは日進月歩で変わっていくようなテクノロジーだった。しかし、インターネットは出てきてから半世紀ほどで今に至っている。
ここで、注意したいと思ったのが、実は両者はそこまで発展スピードは変わらないのではないかということである。自動車よりもネットのほうが普及速度が速いと述べたが、自動車もインターネットもそれそのものは簡単に普及してきた。
そこで比較すべきなのは普及速度ではなくアップデート速度だということだ。例えば、自動車ならイギリスやアメリカの道端を走っていた旧式の三輪車のようなものから、レクサスに至るまで長い年月がかかっているが、どちらも自動車である。それらの違いは、乗り心地であったり、見た目だったりと、シンプルな要素以外の詳細な要素である。
インターネットも、今は140文字しか打てないTwitterしかないが、そのうち1000文字以上打てるTwitterやより見た目のいいITデバイスが出てくるかもしれない。しかしそれはどちらも、インターネットという大枠で形容するだろう。
そんなことを逆算的に考えれば、インターネットが将来的に教習化する未来も考えられる。
どの段階で教習化するのかはわからないが、現在起こっている暗号資産被害や誹謗中傷問題がさらに深刻化してくればそうなるというのは否定できない。
比較思考的に、インターネット免許ができたら何が起こるのかを考えたい。最初に起こるのは何らかの身分証明書としての媒体の登場だろう。現在ではインターネットで個人を特定することはGoogleのアドレスとかLineのアカウントとかしかないが、ETHウォレットの拡充や、行政サービスのデジタル化が進行すれば、やがてインターネット上に「独立した証明書」が出現することも考えられる。
そして、何回も言っているようにインターネット教習が行われるかもしれない。そこでは、何らかの教育システムが出来上がり、現在の自動車教習所のようになっていくのではないかと思われる。もちろん、そのままのイメージではないだろう。
ゴールド免許のようなシステムも組み込められるかもしれない。そしてそれは、より広範な社会的ツールとして利用することができると読んでいる。マイナンバーカードは、インターネット免許になり損ねた存在であり、真に求めるべきはそれなのではないかと思える。
しかし、インターネット免許が出てきたと言っても、それはあくまで事故を減らすためとおなじ大義名分で存在することになるだろうことは頭に入れておくべきだろう。