人間の寿命、それは概ね80から90歳の間くらいであるが、こんな話を数世紀前にしたら笑われるだけだった。40歳を見ることすら稀、そんな時代からすれば100歳に出会える現代の凄さがわかる。しかし、不思議なことに100歳の人間は古代からもいたというのだ。確かに、Wikipediaなどで昔、とりわけ2000年ほど前の偉人の没年を見ると、今と変わりないくらい歳を重ねていることがわかる。
でも、偉人だから、社会的に成功した人しか長生きできなかったのではないか?というのが一つの答えであったが、おそらくこの考えは正しいと見ている。しかし、100歳くらいまで生きる人は昔も今もいるものの、120を超える人物を見ることはどちらにもない。
これは、ひとえに飛行機の誕生に似ていると考えるべきかもしれない。つまり、120歳というのは、人類未踏の領域であり、言い換えれば空である、と。
ふと思えば、現代のがん患者世界分布図を見ると、その殆どが高緯度地域、すなわち先進国に集中している。これから新興国がそこへ至るに連れ、同じような問題にぶつかることは安易に予想できる。そして、大体の場合老後は病院で歯を迎える場合が多いのも現代の特徴である。
120歳を超える人々が頻出した場合、それは本当の意味で人生100年時代であり、老後入院時代からの脱却も夢ではないかもしれない。
健康法については枚挙にいとまがない。最近ではストレスによる発がんもあり得るという見方もあり、精神医学は更に進歩の時代を歩んでいくかもしれないと見ている。そのうえで、何を食べればいいのか、どうやって健康にすごせばいいのかの結論は、一方といった感じで多いことに変わりはない。
それが極限生活術である。基本的な食事は最低限にとどめてできる限り体の状態を極限に近づけておく。割とこの大胆な健康法は現代の過食社会に適しているとも言われている。しかし、その一方で拒食のように全く何も食べないことを美としているわけではない。
オートファジーや禁欲生活は一種の極限戦略とされているが、それらのあまたの過負荷生活を適したように活用することで極限的な生き方は可能になると考えている。
しかし、それらは同時に自分の身体にも影響してくるわけで、どのくらいの限度で行うのかはあらかじめ線引きするのが吉といえる。
いまでは人生100年時代ともいわれているものの、場合によってはそれがかなわないかもしれないというのは頭に入れておくべきかもしれない。アメリカ人の生活スタイルは1950年当時は多くの日本人があこがれていたものの、今のアメリカを見て現地に行こうとさえ思わないのが要るのもまた事実である。アメリカ社会は21世紀にかけて世界一の超大国になった一方で、それまで築いていたドリームライフをいう看板を捨て去り、平均寿命はどんどん下降していったのである。
現在のところ、平均寿命でトップに君臨している東アジア諸国だが、数十年後にこの座についているかどうかははなはだ疑問である、というスタンスは忘れてはいけない。もちろん、平均寿命なんて気にしても自分の人生にはまったく影響はないので、気にする意味もないというのはある。
ただ、それを気にするかどうかは自由であり、その場合世界全体の寿命推移を見ざるを得なくなるだろう。