漆黒のマントを纏った男が歩いていた。
男は、この惑星がどこだか知らない。
男が何時、この惑星に来たのか誰も知らない。男は、歩く道が何処へ通じるのかそれも知らない。
男の前に無料健康診断を謳う看板があった。白衣を着た集団の前に並ぶ者はいなかった。診断を受けた者に食事を提供するとあって普段はもっと長い列が出来るのだが、今は割と暇なようであった。食事と言っても持ち運びできるように栄養素を配合したビスケットを個装した物とドリンク剤だった。味気ないが旅をする者にはその方が却って有難かった。
「旅の方、診断は無料ですよ。協力していただいた方には食事も提供できますよ」 若い女医さんが、男に声を掛けた。
男は特に急ぐ必要も無かったので診断を受け、食料を貰うと何処かへ去って行った。
女医は、研究者としては二流だったが魔導の心得もあった。そのため、あることに気付いた。それは、幸運な出来事だったのか不運な事だったのか?
「・・・・・・ え?! こ、これは!?
まさか、さっきの男の方は何処へ行った?誰か、早く行って連れ戻して。これは、大発見よ!」
女医は再び男に会うことはなかったが後に、中《あたる》帝国で重要な地位に就くことになった。
***
人里離れた場所にその食料生産工場は建っていた。そこではたった今届いたばかりの新鮮な原料を加工し、各地に出荷されていく。それは、鉱山等の重労働を強制され、その過酷さから脱落した作業員の成れの果てであった。
中帝国の支配戦略により、この工場で生産された食料はT1惑星連合の大部分の住民にとっては生存に必須なものであった。
だが、その真実を知る者はまだいない。
***
マツリダは大統領官邸の隠し部屋《パニック・ルーム》に連れて来られた。服を剥ぎ取られ、縄で自由を奪われ床に転がされていた。
ガチャ、ドアが開けられ十四、五歳の少年が入って来た。
「親父、居るんだろう?気配がするからな、小遣いくれよ。おっ、いい玩具《おもちゃ》があるじゃん、親父にしては結構いい趣味してるじゃん」
「ねえ、縄を解いてよ。私は悪いことなんかしてないのよ」
少年は、歪んだ笑みを浮かべてマツリダの身体を弄《まさぐ》った。
「たしか、留学していた前の大統領の娘だったか?一度ニュースで見たな。へええ、いい形の胸だね。感度はどうかな?こりゃ、親父が来るまで退屈せずに済みそうだぜ」
「いやぁ、放しなさい。止めてぇ!」
***
大統領官邸の表と裏の警備員が群がって来た。立ち塞がる男たちを、拳とキックで蹴散らすサマンサ。吾輩の運び屋は流石に優秀なのであるにゃ。サマンサは一番装備が高そうな男の両腕の関節を外した。
「さあ、マツリダを何処へやったの?早く、言いなさい!」
可愛い顔のサマンサが凄味ながら男の頬を張るが、口を割ろうとしなかった。焦れた拳が振り抜かれると男は少し吹っ飛んだ。ここは、吾輩の出番だにゃ。
吾輩は倒れた男の顔に跨ると尻尾で鼻をくすぐってやったのにゃ。
「くしょん、く、くすぐったい。や、止めてくれ~ い、言うから。あ、あの女は大統領の命令で隠し部屋に閉じ込めている。だが鍵は俺たちは持ってない、大統領の家族だけが持っているんだ」
男に案内させて着いた先には頑丈なドアがあった。たぶん核攻撃くらいには耐えられそうであるにゃ。
後が大変になるが、時間が無いのにゃ。
「手伝って欲しいのにゃ、アスタロト!」
『ご主人様は、やはり私がいないと駄目ね』
吾輩の前脚に、闇の力が宿った。吾輩は力が逃げる前に頑丈な扉を引き裂いたのにゃ。
裂けた扉の向こうには、見知らぬ少年がマツリダの上で盛っていたのにゃ。
「何んてことをしてるのよ!」
サマンサが凄い形相で、少年の尻を蹴り飛ばした。
「まあ、命があれば後のことは何とかなるものにゃ。吾輩は後ろを向いてるから、服を着るにゃ」
マツリダは、サマンサが剥ぎ取った少年の服を着て吾輩たちに礼を言った。
「ああ、ネコ船長。ありがとうございます」
「アルド、大統領官邸は制圧しマツリダも救出したにゃ」
『お疲れ様です、科学主任が今後の打ち合わせをしたいとのことです。手当も必要ですのでマツリダもご一緒に一度本船にお戻りください』
「わかったのにゃ、捕虜一名もついでに連れて行くにゃ。四名転送にゃ」
***
少し顔色の悪い新大統領が、就任演説と同時に婚約発表を行っているのがネット中継されているにゃ。 大統領の右後ろに控えているのは前大統領の娘で新たに大統領補佐官に就任したマツリダだ。当然、婚約者とはマツリダのことなのにゃ。
「ふう、上手い具合に大統領の当て馬が手に入って良かったわね。それにしても流石サマンサだわ、こうして見ていても激務と恋路で少しやつれた位にしか見えないもの」
うちの科学主任が、一仕事終えたように紅茶と土産を楽しんでいたにゃ。今回はきつい仕事をこなしてくれたのでお土産は買って来たのにゃ。これが気遣いができる上司なのにゃ。
「しかし、T1惑星連合の明日はとても明るいとは言えないにゃ。洗脳された人間の遺伝子を改変して必須アミノ酸の吸収ができないなんて、生き続ける限り同族の肉を喰らい続けるしかないにゃんて」
「そうね。しかし、あの技術は?魔導と科学の癒合だけでは実現不可能なはず。鍵となるのは”竜の血”あれがなければ」
「ご主人は、何らかの形で”あれ”に関わっているのかにゃ?」
「ネコ船長のご主人が早く見つかるといいですね」
『ご主人様、お土産を早く~』
「やばい、アスタロトが切れると宇宙的な意味で!サマンサ、早く出してやってにゃ」
「はい、ただいま」
紅茶と山盛りに積まれた各種トッピングのT1カステラを前にご満悦なビスクドールがティータイムを楽しんでいるところを見るに、何とか宇宙の平和は保たれたのにゃ。