こんにちは!
クウェートのよしくんです!
今回は「髪の毛」について書いていきます!
みなさんはイスラーム教徒がスカーフをしている理由はご存知でしょうか?
その理由は「髪を隠すため」ですね。
そして、髪は女性の美しさの象徴として捉えられているんですよね。
「信者の女たちに言ってやるがいい。彼女らの視線を低くし、貞淑を守れ。外に表れるもののほかは、彼女らの美しいところを目立たせてはならない。それからヴェールをその胸の上に垂れなさい」(クルアーン24章31節)
この「美しいところ」に髪は含まれます。
イスラーム教徒だから、宗教的に戒律で決められていて髪を隠す、と思われがちですが、戒律順守のためというよりも、価値観によるところによって髪を隠す傾向にあります。
皆さんは髪で惚れたことはありますか?
僕はあります...笑
髪に関しては、日本人も昔から女性の魅力として意識されていました。
髪を隠すイスラーム教徒とは逆に、平安時代の貴族たちは、姫君自体を全く見ることができず、隙間からはみ出して見える「髪」だけが美しさをはかる手がかりでした。
今でも髪に魅力を感じることもありますよね。
髪の美しさが魅力であることはイスラーム世界でも日本でも、今も昔も変わらないようです。
そのため、違うのはただ一つ。その髪の魅力を、「魅力的だから見せる」と「魅力的だから隠す」の違いなんですよね。
イスラーム教徒としては、美しいがために隠したほうがよかったり、恥ずかしいところだから隠している、ということです。
日本人も同じような傾向を持っていると思います。
例えば、たまに外国人の方で背中をパックリ露出している人や、ノースリーブの方、ノーブラの方を見かけますが、皆さんはどう感じますでしょうか?
「露出激しい」なんて思うことはないでしょうか?
これは、日本があくまで背中を露出しないのが普通で、肩も出さないのが普通だと考えられているからです。(最近はオフショルやノースリーブもありますが、露出は外国人の方より控えめだと思います。)
日本には日本独自の、隠したほうがいいライン、恥ずかしいラインがあるということです。
それがイスラーム教徒の場合は、髪が隠したほうがいいラインとなっています。
「イスラーム教徒がするスカーフは宗教的かどうか」という問題は世界、特にフランスでよく議論されています。
フランスでは「ライシテ」という規則によって、公的な場での宗教的な服装や発言は制限されています。
これは昔、宗教的権威から、政治的にも教会が権力を持ちやすかったため、政治と宗教を完全に分離させようという動きから生まれたものです。
イスラーム教徒以外の人から見たら、スカーフは宗教的なトレードマークとして感じるかもしれませんが、イスラーム教徒の人からしたら、髪を隠すのはあくまで服を着るのと同じものなんですよね。
学校で「服着るのは禁止!ビキニでこい!」って言われたらなかなかヤバいですよね(笑)
極端ですが、フランスで起こっているのは簡単に言ってしまうとそういうことです。
あるコミュニティー内で大多数の人が信じる「常識」は、ほかの人からしたら「ヤバい行為」、というのは、よくあることです。
僕たち日本人が普段思っている「常識」も、ほかの人にとってはもしかしたら「ビキニで通学/通勤」くらい「ヤバい行為」かもしれません(笑)
自身の行動が、相手にとっては「ヤバい行為」ということを認めることも相互理解の一部なので、相互理解はなかなか難しいものです...笑
以上が「髪の毛」について、
1.「魅力的だから見せる」と「魅力的だから隠す」
2.「隠したほうがいい」「恥ずかしい」のラインの違い
3.「宗教的」という理由で揉める「髪隠し」と、「常識」の「非常識」
でした!
長文読んでくださりありがとうございました!
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