痛い! 動けない。
突然見舞われたぎっくり腰、コンタクトインプロヴィゼーションダンスのワークショップ参加中に発症し、ダンスフロアの真ん中で突然身動きが取れなくなった。
皮肉なことにこのワークショップは沈黙することが重要視されていて、声を上げて助けを求めるとかはしたくない。
立ち止まったまま、痛みを堪え、なんとか次の動きにつなげる。
歩くどころか手を動かすことですら強烈な痛みが走る。
腰を抑えながらカタツムリのようにゆっくりと端っこに行って横になる。
一時間ほど身動きも取れずに休んでいると、パートナーの月子さんが約束していた時間に迎えに来てくれ、なんとか家まで帰ることができた。
このぎっくり腰の2週間ほど前に変な体勢でパソコンを一日中いじり続けた時があって、その日以来腰の調子が悪かったので、円皮鍼という短い針が絆創膏に着いたようなものを腰に貼ってゆっくりと治療していた。
その後、コンタクトインプロのワークショップで円皮針が汗で滑って剥がれてきたので、貼っているものを全部剥がすことにした。
どうやらこの円皮鍼は思ったよりも効果があったらしく、貼り続けたおかげでギリギリ最悪の事態を免れていたようだ。
だが、剥がした直後から、また腰が痛み始め、踊っている最中にも不吉な予感が漂ってきた。
その後も、気をつけながら踊っていたんだけど、あるポイントで突然、臨界点を超えてしまった。
前述の通り、パートナーが迎えに来てくれて、家に帰り安静にする。彼女はその後、別の南米スタイルのセレモニーがあるので出かけたのだが、やはり放っておくことが出来ないと言って戻ってきた。
彼女はその後に一週間のヴィパッサナー瞑想コースの予約もしていたのだが、それもキャンセルして看護してくれることに。
確かに激しく踊ったことや、パソコンの使いすぎ、運動不足などいろいろな原因はあるのだが、僕には一番の原因は何かわかっていた。
それは怒りだ。ぎっくり腰が起こる前々日にパートナーと喧嘩していて、表面的には解決していたんだけど、根っこにはしっかりと拭いきれない怒りが残っていた。
僕は、怒鳴ったり、嫌味を言ったりの言葉の暴力も肉体の暴力も好きじゃないので、嫌なことがあるとすぐに向き合って話すようにしていた。
平和的に話して、理解し合って受け入れ合うというのが理想で、できるだけ落ち着いて話すんだけど、必ずしも相手もそうやって聞いてくれるわけではない。特にこっちがゆっくり話そうとすると、遅いがゆえに簡単に話の途中で遮られてしまう。
そういうときは、ネイティブアメリカンの使うトーキングサークルという手法で話し合うようにしている。
以前に言い争いがあった時にその方法でうまく解決したので、今回はパートナーもトーキングサークルで話し合うという提案をすんなりと受け入れてくれた。
トーキングサークルというのは、話し合いの場において片方が木の枝などのスティックを持って話し、相手は聞くことに集中する。話しきればスティックを相手に渡し、立場が入れ替わる。
単純に片側が話し、片側が聞くということを交互に繰り返すだけだが、その調和を生み出す効果はすごくて、殆どの場合にトーキングサークルで話し合って良かったね、という結果になる。
でも、今回はトーキングサークルが夕飯で中断して、その後、フリートークで話したのがまずかった。
どちらも興奮し、怒りをぶつけ合った。
一旦途切れたトーキングサークルの調和の流れは簡単に戻すことができず、何度かトーキングサークルで話し合おうと提案するが、それを僕が場をコントロールしようとしていると取られ受け入れてもらえない。
パートナーの月子さんはラテンのノリの性格なので、嫌なことがあると怒りを爆発させて、次の日には何も無かったかのようにケロッとしている。
結局、その日は伝えたかったことは全く伝わらず、怒りを放出しきってスッキリした月子さんとは対象的に、僕はわだかまりを飲み込むことでその日を終えた。
僕の場合、そうやって気持ちを伝えきれずに飲み込むと、必ずと言っていいほど体に症状として出て来る。
それを外側の誰かにぶつけることや、その状況から逃げ出すことも出来るのだけど、それをしても結局同じ(全宇宙は自分自身)と言うことも痛いほどわかっているので、僕のする選択は、向き合って自分自身を愛を持って表現すると言う事。
自分のそういう心と体の仕組をわかっているからこそ、自分の内側にあるネガティビティは、外側に吐き出さずに毎朝瞑想で昇華している。
どっちにしろ自分に返ってくるのが、よく分かっているので。
外側からやってくるように見えるネガティブなものに関しては、できるだけ早い段階で本音で話し合って解決するか、一旦距離を置くようにしている。
そうすることで、大概はうまくいくのだけど、今回はパートナーとのこと。逃げるという選択は取りたくないし、相手の言うがままに行動しても、それはそれで何処かに歪みをもたらす。
今回は話し合っても通じず、逃げることも選択せずに飲み込んだので、結果としてぎっくり腰と言う形で歪みが現れた。
僕の痛々しい姿を見ながら看病することでパートナーは僕の話を真剣に聞くことの重要さを理解してくれて、まともな話し合いをすることが出来た。
言いたいことは全て伝わり、僕の怒りは流れていった。
なんとまあ、体を張った愛と平和の表現だろう。
つづく。。。
次回は更に深い怒りの原因に向き合う話です。
(この記事は2017年4月10日に自身のブログに投稿した物を加筆修正してアリスに再投稿したものです。)
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