ルーマニアではなんやかんやと、色々な事があったが、今は無事にタイの暑い日差しを浴びることができている。
雪国から来ると日差しが身に染みるが、そんな暑い中、地元の人達はみんな黒い服を着ている。
それもそのはず、約一月前に国民の盛大な支持を集めていた国王が崩御なされたのでみんな喪に服しているのだ。
今のタイはこれでもかと言うくらいに全てが喪に服している。
喪服グッズが飛ぶように売れ、コンビニやレストランも黒いリボンなどを着けているが、驚くのはグーグルやフェイスブックまでが白黒になっている事だ。
逆に言うとそれだけ愛され尊敬されていたという事だろう。
居候先のタイ人の奥さんはアートシアターで働く都会っ子だが、亡くなった国王に対する尊敬はすごいものがあり、そういった国粋主義的な感覚は過去の遺物かのように教育された日本で育った身としては不思議な気持ちになる反面、羨ましくもある。
ニュースには報道されないリアルなタイ人の生の声を色々聞いたが、時期国王予定のプリンスが結構な変人、と言うよりも結構な変態らしく、国民の誰も彼が国王になる事を望んでいない。偉大な父親にコンプレックスを持った息子と言う典型的なパターン。
その反面、プリンセスの人柄が素晴らしいらしく、皆が彼女に次期女王になる事を望んでいるが、次期国王は既に決まっているので、どうするどうなる?という感じらしい。
怖い話でプリンス派とプリンセス派で国が分かれそうになっていて、北と南、与党と野党、軍権と官憲など、国が真っ二つに分かれて内戦が起こりそうだと友人は話している。良くは知らないが色々と際どいらしい。
政府としては取り敢えず今は次期国王就任時期の延期を繰り返して凌いでいるらしい。
タイは素晴らしい国なので平和に落ち着いて欲しいとは思いますが。
僕はバンコクを通るときはいつも友人のイギリス人J君とタイ人の奥さんのMちゃん夫婦の家に居候させてもらっている。
J君と最初に出会ったのは12年前の2004年、インド、チベット難民政府のあるダラムサラでの事。
当時僕たちは町から1時間ほど歩いた所にある小さな村に住むご近所さんで、よく一緒に散歩してお茶を飲んでいた。イギリス人のアフタヌーンティーの飲み方が半端なくてカルチャーショックを受けた事を覚えている。
僕たちには色々共通点が有って、辺鄙な村に住む外国人と言うだけではなくて、マッサージを勉強していたり、ヨガや瞑想をやっていたりする他に、当時では珍しいノートパソコンを持って旅している事もその一つだった。しかもマック。
その時に僕がDJソフトの使い方を教えたことがきっかけで彼はDJを始め、今ではバンコクのトップDJとして快適な暮らしをしている。
彼は現在、DJの仕事で出来た金銭的、時間的なゆとりを彼本来の情熱である絵画を描く事に傾けている。
彼は僕をきっかけにしてDJになり、好きなことに熱中して暮らせるようになったことを僕に対して物凄く恩に着ていて、バンコクに行くたびに色々と親切にして貰っている。部屋や食事を無料で提供してくれるのは勿論の事、ある時などは歯医者の治療費を奢ってもらったりした。
彼らは古風なチャイナタウンでかなり素敵な暮らしをしており、彼らやその友人のアーティストが住んでいるお陰で更に他のアーティストや面白いことがこのエリアに集まってきている。
10年前は昔から住んでいる地元の人を除けばJ君とMちゃんや他数人の友人だけが住むチャイナタウンの下町だったのだが、時が経つごとにこのエリアは段々と人気のおしゃれな通りになってきていて、どんどんと新しいレストランやバー、ギャラリーやゲストハウスがオープンしていた。
バンコクの中でも1番の上り調子のエリアになっている。投資先としておすすめ。
僕がDJソフトを教えたことで彼の人生が変わり、それがきっかけでバンコクに住むようになり、それがきっかけで色々なアーティストが彼らの周りに集まって来て、それがきっかけでこの地区が開発され、そしておそらくこの地区の開発をきっかけにして、いろいろな人の人生が変わっていくのだろう。
もちろん全てがそんな単純な図式では無いけれども、小さなことが後に大きな影響を生み出すバタフライ効果を見ているような気分になった。
僕が今回タイに来た一番の理由はタイの運転免許証を国際免許証に切り替えるためだ。
2年前にタイを旅している時にネットで調べてパタヤ(タイの歌舞伎町みたいな所)の旅行代理店が日本人にも自動車免許を手配していることを知った。彼らが言うにはごく一般的なツーリストヴィザをもつ旅行者でもタイの国内を運転できる自動車免許を取れて、一年後には国際免許に切り替えて世界中で運転できるとの話。全ての費用込みで約2万5千円。
これはかなり美味しい話だ。長い間、車の免許を取りたかった。バンコクのカオサンストリートではそこら中で偽の身分証を簡単に作ることが出来るし、それでも色々な状況で役に立つのだが、僕が欲しいのは本物の運転免許。
もし、日本で車の免許をとれば10倍近く費用がかかるし、他の国で取るには特別なヴィザが必要。
そんな経緯で2年前にパタヤまで運転免許を取りに行って来たのだが、想像以上のゆるゆる具合に度肝を抜かれた。
コンピュータの画面に出てくる4択クイズが筆記試験で、ありがたいことに日本語で試験を受けることができる。
面白いと言うか恐ろしい話なのだが、その4択問題の日本語訳が明らかに間違えている。しかもそれが結構な頻度で、10%くらいの確率でとんでもない誤訳がある。
試験終了後に答え合わせの画面が出てくるんだけど、スマホを持ち込み可能なので誤訳の回答を写真に撮って置く。正解を答えると間違いになるので、どの問題が誤訳されているかを覚えて、正確に間違えないと正解にならないのだ。
下の写真を見ても分かると思うが、問題も挿絵も回答も全く意味を成していない。
そして、ゆるゆるなことに試験会場にスマホを持ち込んで撮った写真を見ながら回答することもできる。ここまで来ると最早カンニングとか言うレベルじゃなくて、交通安全上の致命的な欠陥だと思うのだが、これもタイの素晴らしさの一つだと言うことにしておこう。
そんな感じで無事に筆記試験を終わり、視力測定なども無事に済み、いざ実技運転へ。試験はめちゃくちゃ簡単で、3つの車の操作を正確にできるかどうか。はっきりと覚えていないが信号の手前の停止線で止まるとか、左右を見てから曲がるとかの小学生レベルだったような気がする。
そんな簡単な試験でも恥ずかしながらしょうもないミスをして一度落ちてしまったのだが、次の日には無事に完了することが出来た。
2年前の当時にはタイ国内で車を運転する予定などなく、最初から1年後に国際免許に切り替えるのが目的。未来の国際免許に想いを馳せながらパタヤを去った。
そして数日前の話なのだが、タイに無事に着いたし、念願の国際免許への切り替えをしようと思い前述の旅行代理店にEメールを通して尋ねた。
彼らが言うには僕が聞いていた情報は既に古く、今持っている免許は仮免許で、特別なヴィザが無いと本免許には変更できない。本免許に変更後にやっと国際免許に切り替えることが出来る。
つまり今の僕の現状では特別なビザを取らない限り2年がかりの安く免許を取るという計画は失敗に終わりそうだ。
本当なんだろうか?この一年半の間に法律が変わってしまった、そんな都合の良いことがあるのか?本当なのかも知れないが、代理店に騙されたと言う気持ちを拭えなかった。
怪しい東南アジアのあるある話だけど、皆さんも気をつけてください。
でもまあどっちにしろ、法律変更がこの一年半の間に変わったのが嘘であろうと本当であろうと、現在本免許に変更できないのは事実。それでもこの仮免許を2年伸ばすことは出来て、この状態でも色んな国で運転できるらしい。
仮免許を延長するのは今じゃ無くてもいいのでこの件はとりあえず保留にする。
どうも、ここ最近の物質的な成功を求める僕の努力は徒労に終わっていくような気がしている。テレビのオーディションは落ちて、家を追い出されて、ルーマニアのヴィザでの罰金、運転免許も変更できず。どうやら宇宙や僕のハイヤーセルフは僕に別の進路を取らせたいようだ。まあ、どう流れるか様子を見よう。
僕はルーマニアを出るまでに1500ユーロを貯金した。タイで半年間ホテルに泊まってレストランで食事をするには到底足りない金額だ。ルーマニアでもっと働いて貯金することも出来たのだけど、面倒くさかったのと、浪費癖でいっぱい使ってしまい、更に長いこと母に借りていたお金も返したのであまり貯金できなかった。今後は出費を安く抑えるか旅の途上でお金を稼ぐしか無い。
ルーマニアでバスキング(路上演奏してお金を稼ぐこと)していてユーロのコインを沢山手に入れたんだけど、ルーマニアでは両替出来ないので、ドイツの空港を通った時に全部タイバーツに両替した。全部で30ユーロほどあった。この30ユーロを元手にして、なんとか貯金に手をつけず、旅の途上でお金を稼ぎ続けられたら良いなと思っている。
バスカーの友人がバンコクのアジアティークマーケットというところが簡単に路上演奏の許可証が取れてバスキングが出来ると教えてくれたので、そこへ向かった。
国王が死んだ直後のこのご時世では、許可証を取るのはかなり難しいかも知れないけれど、人がいっぱい集まるマーケットなので、もし許可証が取れたら簡単にお金を稼ぐことが出来るんじゃないかと予想していた。
2年前にタイに来たときにチャトゥチャックマーケットというタイ最大のマーケットで2日で9万円という荒稼ぎをした事があったので、今回も美味しい思いが出来るんじゃないかと甘い夢を見ている。
チャットチャックマーケットでは、外国人のくせにあまりに稼ぎすぎて、地元の店主達から嫉妬され、許可証がもらえなくなってしまったので今回は嫉妬されない程度に稼いでいきたい。
事務所に行ってみると思いの外、簡単に許可証を取ることが出来た。インタヴューも書類記入も何もなく、ただ単にパスポートを渡したら許可証をもらえた。喪に服すとかは全然関係なさそうだ。
もしかしたらこのマーケットは今後の僕にとってのアジア方面のドル箱になるかもと思い興奮していたのだが、実際に演奏してみると、いい場所で演奏しているにもかかわらず、いまいちパッとしない。何故かみんな立ち止まらずに素通りしていく。
普段、街で演奏するときはマレットを使っている。音の大きさと長時間演奏のしやすさを考慮するとマレットが使いやすく、また楽器に対するダメージも音量の割に少ないというのも理由の一つだ。でも、このときは手で演奏していた。手で演奏するほうが楽しいし、あまりうるさすぎると追い出されることもあるからだ。
その日は2時間演奏して300バーツ(8ユーロ)稼いだ。タイでの生活費を考えると悪くない稼ぎなのだが、この金額では僕自身のやる気が出ない。僕の現在の最低賃金は時間あたり10ユーロに設定している。
その日は一旦帰って次の日にマレットを持って戻って来ることにした。多分音量が小さかったのだろう。もうちょっと準備して見た目ももう少し綺麗にして帰ってこよう。
次の日にまた完璧に準備し直して、メインゲートの真ん前の一番人通りの多い所に配置した。これで完璧なはず。でも残念ながら2時間で300バーツと前の日と同じ結果。
2年前にチャットチャックマーケットで演奏したときは、その額の10倍近く稼いでいたので、この結果にはかなり驚いた。
僕が理解したのはこのアジアティークマーケットはかなりメインストリームの商業的なマーケットで、ここに来るお客さんは音楽やアートにはあまり興味が無いようで、僕の演奏に向いた客層ではないみたいだ。このマーケットでのバスキングは諦めることにしよう。
僕は数日後に開催されるアートボックスというマーケットまで待つことにした。ここは若いアーティストのためのマーケットなので僕には向いてるはずだ。その日は昼間に携帯用ソーラーパネルを買ったので、持っていた殆どのタイバーツを使ってしまった。マーケットに到着した時点での手持ち金は20バーツ(50円)ほど。貯金を使わずに旅を続けようという望みも終わりが近づいていた。
アートボックスで演奏していると結構いい反応があるんだけど、いかんせん人数が少ない。レストラン街の真ん中で演奏していたんだけど、僕が演奏していた場所の向かいにあるレストランはその日一人のお客さんも入らなかった。
その日は800バーツ(約2000円)稼ぐことが出来た。人通りの量を考えると悪くはないし、貯金を使わずに次に繋げることが出来た。
僕は次のマーケットに期待することにした。2年前に沢山稼いだチャットチャックマーケットが土曜日と日曜日に待っている。多分もう許可証はくれないだろうけど何か変わっているかもしれない。とりあえず希望を持ち続ける。
次の日チャットチャックマーケットに着き、すぐに事務所へ向かう。見知ったおじさん達に再会の挨拶をし、状況を聞いてみると、もう外国人に許可証を発行するのはやめたそうだ。もしかしたら、2年前に稼ぎすぎたのが悪影響しているのだろうか?
OK、それじゃあ、隣りにある公園で演奏してみよう。
でも残念ながら公園も似たような状況で以前よりももっと警備員が増えていて、とてもじゃないが演奏は無理みたい。
OK、それじゃあ高速道路の隣で演奏してみよう。道路の騒音がかなりうるさくて空気も汚く、とてもじゃないがいい演奏環境とは言えないが、今は他に選択肢が無い。状況を受け入れて演奏してみると他のマーケットよりも断然お金が稼げる。
日が暮れるまでそこで演奏を続け、6時以降はチャットチャックマーケット内で演奏することにした。6時をすぎると無法地帯で誰が何をやっても文句を言われない仕組みになっている。この緩さはタイの素晴らしいところだ。
いい場所を見つけ演奏を開始。おおー、かなり良いリアクション。道路の騒音がない分、みんな僕の音を聞くことが出来るし、立ち止まる場所もある。CDも飛ぶように売れる。
これこれ、このリアクションが欲しかった!
この日は最終的に5000バーツ(約15000円)を稼ぐことが出来た。2年前に比べると半分以下なのだが、タイの物価を考えると文句なしの成果。これでしばらくはお金のことを気にしなくて済む。
次の日もまた戻ってきて演奏した。何故かこの日は前日ほどうまく行かなかったけど、それでも十分稼いだ。金曜の夜には所持金が20バーツ(50円)だったのが、日曜の夜の今の所持金は10000バーツ(30000円)。2日半で500倍になった。いい気分だ。
もし、馬鹿な無駄遣いをしなければ(ついついしてしまう、浪費癖をなんとかしよう)、少なくとも1ヶ月あるいはそれ以上、南の島でバケーションを楽しめる。
今回のバスキングで何が一番良かったかというと、許可証も書類へのサインも何もなく、フラッと出かけて結構な額を稼いだということ。より一層自由で独立した気分になる。
次の日の月曜日、寝台列車に乗って南へ向かう。スアンモックと言うお寺でやっている10日間の瞑想コースに参加するのだ。ここではアナパナ(呼吸観察)瞑想とヨガと太極拳を教えてくれる。何よりも嬉しいのは敷地内に温泉があること。ちなみに今回で2回めの参加。
彼らは瞑想をタイ訛りの英語で教えてくれるんだけど、かなりわかりにくい。もちろん日本語訛りの英語を話す僕は文句を言える立場では無いのだが。。。
多分このコース中、僕はヴィパッサナー瞑想(体の感覚を観察する瞑想)をするだろう。これはアナパナ瞑想の次のステップにあたる瞑想法でゴエンカヴィパッサナー瞑想センターで習ったものだ。ここは瞑想に集中するには非常に適した環境だ。
僕は瞑想、特にヴィパッサナー瞑想が大好きで、10年以上定期的に瞑想コースに参加している。
ここ5年間は毎朝一時間ほど瞑想してから一日を始めているが、日々幸せを感じながら生きる事に多いに助けになっている。
そのうちヴィパッサナー瞑想についての紹介記事でも書いてみたい。
今日から瞑想コースが始まる。心の準備は完全に出来ている。
再び心の奥深くへ潜っていくことに静かな興奮を覚えている。
つづく。。。
次回は、瞑想コースに参加し、自分がブッダの観点から見ても完全に覚醒していることを再確認するプロセスの話です。
瞑想コースで自分が覚醒していることを再確認する(現在005)
(この記事は2016年11月30日に自身のブログに投稿した物を加筆修正してアリスに再投稿したものです。今後はアリスを中心に活動していこうと思っているので応援よろしくお願いします。)