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「犬飼ったら?かわいいよ」
「嫌だよ、犬なんか!」
白石さんはかぶせ気味にそう言った。ふいな強い口調を受けて言葉が詰まる。犬好きな私としては、犬を全否定するような白石さんの言い方に少なからず腹が立った。確かに犬嫌いな人はいる。うちのお母さんとかお姉ちゃんとか。犬はフンをするし、汚すし、吠えるから嫌いだと言ったのを聞いたことがある。
犬が嫌いなひとは冷たい心の持ち主だという偏見を持ってる私は、白石さんってほんとは心が冷たいのかなとも思った。そして私は白井さんに少しイラっとして聞いた。
「なんで?」
「だって、…犬って死ぬから」
あ、また体が熱くなる。そして私は昔飼ってた犬のダンゴのことを思い出した。
捨て犬だったのを拾って、おだんごみたいに丸々してたからダンゴって名前を私がつけた。お母さんに家の中に入れちゃだめって言われてたけど、私はよくこっそり自分の布団にダンゴを入れていっしょに寝ていた。そしてお母さんにばれて怒られたりした。
そのダンゴの丸々したお腹が、車にひかれてぺったんこになって死んだ。私はぺったんこにになったダンゴにすがりついて大声でワアワア泣いた。
とても悲しくて学校を休もうとしたのに、無理矢理行かされたときはお母さんのことをうらんだ。家族が死んだら何日も休むものなのに、今まで「踏歌と姉妹みたい」とか「ダンゴは家族」とか言ってた人が一日も休ませてくれないことにとても理不尽なものを感じた。
学校には行ったけれど、悲しくて授業を聞いても何も頭に入らなかっからその日はずっと保健室にいて、ベッドの中でこっそり泣いていた。
ダンゴが死んで私はこんなに悲しんだり、泣いてばかりいるのに、私の家族たちが私みたいに泣いたりしないことに少しショックを受けた。お姉ちゃんとお母さんはダンゴが死んだ次の日には、くだらないテレビを見ながら大きな口を開けて笑っていて、私はこの人たち本当に心が冷たいんだと思った。
でもあんなに悲しかった気持ちも、あるいはダンゴのことすら、私はたった今白石さんの言葉を聞く瞬間まで忘れていた。
「もしかして、前に犬飼ってたの?」
私の質問に白石さんはうなづく。目が少し赤くなってる気がしたけど、白石さんは向こうを向いて遠くのほうを見だしたので、顔が見えなくてよくわからなかった。
「私」向こうを向いたまま白石さんが言う。
「小さいとき、飼ってた犬が死んだんだ。その子はいつも私に元気をくれて、悲しいときやつらいときもその子といっしょなら元気になれた。だからその子がもうすぐ死んじゃうってとき、とてもとても悲しくて、その子がいなくなっちゃうのが怖かったけれど、今度は私がその子に元気をあげるんだって思って、一生懸命泣くのをこらえて絶対涙は流さなかった」
白石さんがこちらを向く。
「でもそのとき誓ったんだ。『絶対忘れない』って。その子との楽しかった時間も、そのときの悲しみも、私は絶対に忘れない。だからダメなんだ。この気持ちを抱えながら違う犬を飼うなんて私にはできない。せっかくの君の提案なのにごめん」
本当に冷たいのは誰だ?
私がもしもダンゴが死んだときの気持ちを今も持ち続けていたら、犬なんか飼いたくないと思うんじゃないか?ましてひとに犬を飼うっことを勧めるなんてできるはずがないのではないか?
白石さんはそういう気持ちを忘れないで持ち続けている。白石さんのこと冷たい心の持ち主だなんて思ったけれど本当は真逆だった。大声でワアワア泣いたからと言って心の温かい人間だとは限らない。大事なのはそんなことじゃないんだ。
冷たいのは私の方だ。だから白石さんといると、白石さんの心の温かさと私の心の冷たさの温度差で私の体は熱くなるのかもしれない。
白石さんといっしょにいたら、白石さんの心の温度が私に伝わって、私も白石さんみたいに心の温かい人になれるかな?
私、白石さんみたいに大切なことを忘れないで抱えて生きられるひとになりたい。
白石さんともっといっしょにいたい。
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