ジャライ族の村で活動を始めた当初、村人への聞き取り調査から活動を始めました。
生活の様子や価値観などいろいろな側面からジャライ族のことを知りたかったからです。
質問リストのひとつに、”あなたは何を信仰しているのですか” という質問も用意しました。
この質問をするときに自分の中では、「彼らはアニミズムを信仰しているから、”精霊” という答えが返ってくるんだろうなあ」 という漠然とした予想がありました。
しかし予想に反して半分くらいの人からは "何も信仰していない” という答えが返ってきました。
彼らにとっては精霊の存在というものがあまりにも生活の隅々に浸透してしまっているために、水や空気といった生活に欠かせないものであり、あえて意識して信仰するような対象ではなかったのです。
それでも4割くらいの人は、"精霊” を信仰していると答えてくれました。
一部の人にとっては精霊は信仰の対象だとう感覚が芽生えてきているようです。
ですが一番驚いたのは、この質問に対して、”医者” と答える村人が結構いたことです。
伝統的にジャライ族が病気になったときには、村のシャーマンにお願いして生贄の儀式を行うことで精霊の怒りを鎮めて病気を治していました。
(自分もその儀式を経験したことがあります)
ですが近年(10年前のことですが)少しずつ文明的な生活が浸透してくるにつれて、病気になったときに医者に診てもら人々も現れました。
病気を治してくれる存在が精霊(媒介者としてのシャーマン)から医者に変わったのです。
そうすると彼らにとては医者というのは超常的な力で病気を取り除いてくれる信仰の対象になります。
以前に紹介したヘリコプターが信仰の対象になる事例も、同じようなことだと思います。
医者が信仰の対象になるというのは私たち日本人にとっては不思議な話です。
私たちでしたら、医者は医療や科学といったくくり、ヘリコプターは科学や交通といった括りを思い浮かべると思います。
ですがジャライ族にとってはヘリコプターも医者も信仰の対象になります。
通常私たちがものを考えるときは、論理的に思考します。
物事を違いや差異に基づいて分類して、その事象の詳細を知った上で、各事象の因果関係を把握して、全体像を直線的に理解しょうとします。
物事の間の違いにフォーカスする思考法です。
ジャライ族に対して行なったインタビューも、アンケートや質問によってジャライ族のことを論理的に知ろうといういわゆる分類思考の試みでした。
ですがジャライ族や他の文明のほとんどの先住民族は物事を分類して論理的に思考するよりも、一見異なる物事の間にある類似点や共通点を見出すことによって事象を直感的に把握するという思考法をしています。
物事を直線的ではなく包括的に円のように統合していくやり方。
物事の類似性にフォーカスする思考法です。
ジャライ族の人たちは、シンプルにシャーマンと医者の共通点である病気を治してくれるという側面に注目して、医者が信仰の対象だと考えるようになったのだと想像できます。
日本においても縄文人達はこの類似性にフォーカスする思考をとっていたそうです。
縄文の土器や土偶などに象徴的に見られるそうです。
ですが弥生時代になって農耕が始まるに従って、分類思考へと変化していったそうです。
自分も数年間ジャライ族と関わる中で、物を考える際に類似点に焦点を当てるような思考方法に変化していきました。
不思議なことにそれだけで日常生活で生じるストレスが激減していきました。
それは今の自分の財産にもなっています。
ジャライ族のような先住民族から得られるメリットというのは、全く異なるパラダイムに直接触れることによって世界観や人生観が大きく変わることなのだと思います😊
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