以前から天才バカボンがすごく好きでした。
あんな作品を生み出した赤塚不二夫はリアルな天才だろうなあと思います。
あなたの考えはすべての出来事、存在をあるがままに前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は、重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また、時間は前後関係を断ち放たれて、その時、その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち、「これでいいのだ」と。
これは赤塚不二夫のお葬式でタモリが読み上げた弔辞の一部です。
実は紙を広げて弔辞を読んでいるように見えましたが、その紙は白紙だったそうです。
タモリ凄すぎます。
普通の日常を生活していると、自動的にこの時系列による因果の世界、意味の世界、そこにつかまってしまって、囚われてしまいます。
いつの間にか囚われていることすらわからなくて、それが当たり前のように感じてしまいます。
時系列的な秩序、因果や論理、意味の世界が持っている周波数帯の現実です。
あらゆる現実的な問題点が生じて、争い、優越感、劣等感、正しい、間違っている、比較、そんな観念や現実が生じては消えている場。
その中で問題を解決しようとしたり、なんとか状況を解決しようとする中で、いつの間にかそこにとらわれてしまい、それが現実だと信じて疑わずに生きている場です。
重苦しい意味の世界で深刻になっていても、問題は解決しないし、状況はなかなか改善しません。
むしろ何か手を打つことで、新たな因果を作り出し、問題点が他の問題点にすり替わるということが連綿と続いていく気がします。
その現実を瞬間的に何かのきっかけで抜け出して、その重苦しい世界の周波数帯を見下ろした時に、そのトリックに気がつく瞬間というのがあると思うんです。
その瞬間全てお覆い尽くしていた重しが消えて、ものすごい軽やかな感じになります。
そこを一気に突き抜けさせてくれる言葉が、 ”これでいいのだ” の一言です。
この一言であらゆる深刻さに、一時的ではありますが強制的にピリオドを打ってくれます。
この意味の世界を突き抜けるというのは、決して現実逃避ではありません。
それどころか、この状態に一度離れることで、停滞した重苦しい世界の問題点を解決できる状態でもあると思います。
その気付きさえあれば、全く違う次元で問題の対処ができる。
あるいは何も対処する必要がないと気がつく。そんなことが起こりうると思います😊
世の中には創造的な人がたくさんいます。
そういう人の共通点って、意味の世界の中ではなく、そこを突き抜けた世界でものを考えたり行動している気がします😊
”これでいいのだ” という言葉は、それを一瞬で行なってくれるような魔法の呪文かもしれません!!
瞑想中にも、ちょくちょくおとづれる一瞬の気付きの瞬間というものがあります。
瞬間的に、”これでいいのだ” のように意味の世界から抜け出しています。
通常瞑想の最中は、意識が"意味の世界"、”これでいいのだの世界” を行ったり来たりしています。
瞑想を続けていると、日常生活にも”これでいいのだ” の感覚が徐々に浸透していきます。
そうすると日常の中で深刻さにとらわれて重くなっていたとしても、その自分の状況に客観的に気がつけるようになって、意識してその場を抜け出すこともできるようになる気がします。
そうするととっても軽やかない日々過ごせる気がします😊