ストレス発散の一手段として自傷行為をする側の人間としては、自傷行為が絶対的に悪いことだとは思っていない。
一時的ではあるが、今抱えている苦しみを少しばかり忘れられる気がするのだ。
無差別殺人事件の犯人の中に「人生が上手くいってなかったのでむしゃくしゃしてやった」と供述をするような人がたまにいる。
むしゃくしゃして赤の他人を巻き込むよりは自己完結できる自傷行為の方が余程良い(むしゃくしゃして赤の他人を刺し殺すような人間よりも自分はマシな人間だと思いたいという節もある)。
また、身内の中に、機嫌が悪いととにかく周りの人や物に当たる人間が数人いる。
ドアを勢いよく閉めたりなど大きな物音を立てること、テレビやテーブルやゲーム機などが壊されることなどがあった。
物に当たることにより物が壊れ、それを使う周りの人間を困らせるより、そして、大きな物音(=騒音)で周りの人間に心理的不快感を与えるより、自己完結できる自傷行為の方が余程良い(これもまた、人や物に当たる人間よりも自分はマシな人間だと思いたいという節がある)。
また、物に当たる目的として、物を壊すことが目的なのではなく、当然怒りをぶつけることが目的であると認識している。
そのため、物に当たったことにより物が壊れてしまうということは、「当の本人は壊すほどのつもりで当たったわけではないのに、理性を失い怒りに身を任せ物に当たった結果物を壊してしまった」ということになるであろう。
当然自分と物は異なる存在なので、自分がそんなつもりじゃなくても物の痛み=物が壊れる加減が分からない。
自傷行為の場合、自傷行為をすることにより困るのは我に返った時の自分だけであり、自傷行為の手段にもよるが、周りの人に特に多大なる迷惑をかけるようなことはそこまでないように思う。
我に返った時の自分が困るようなことがあれば、それは自己責任と言う言葉で片付ける他ない。
また、傷つける側と傷つけられる側の人間が両方自分という同じ人間なので、(理性を失い怒りに身を任せて自分を傷つけている時は加減も知らずに傷つけてしまうものであるが、)まだ自分が壊れる加減が自分で分かる。
とはいえ、「じゃあ自傷行為を積極的にやっていこう」という風にも思っていない。
自傷行為は悪だとは思っていないが、善だとも思っていない。
あくまでも、人に迷惑をかけるような手段よりも自傷行為の方が遥かにマシだと思うのであって、本来はしないに越したことはない。
だから人に勧めることもないし、そればかりでストレス発散をしようとも思わない。
ただしたいと思う時があればして、その後我に返った時に「自分はこんなことをしていたのか」と思うだけだ。