死ぬ勇気がないのに死んでもいい、死にたいと思うことは、別れる気がない或いは離婚する気がないのに彼氏や旦那がうざいと愚痴をこぼすことと同じだと気づいてから、人前で死にたいとは言わなくなった。「死にたいなら死ねば」「別れたいならとっとと別れればいいじゃん」「そんなに旦那が嫌なら離婚すれば 」ストレスや悩みを解消する手段として手っ取り早いのはそのストレスや悩みの源を断ち切ること、ストレスや悩みから逃げることだ。真っ当な回答の割に、多くの人はこのような回答をされると求めている回答とは違うから腹が立つことだろう。愚痴をこぼす人が求めているのは正論ではなく共感だ。だから正論を言う人は周りの人から嫌われるとよく言われるのだろう。まさに私がそのようなタイプだ。
そもそも正論って何なんだ。自分が正しいと思っていることや論理的であると思って述べた考えを、相手も「それは正しい」「道理にかなっている」と捉えるとも限らない。正論に反対する人は正論だとは思わないからその意見に反対するのか、正論だけど気に食わないからその意見に反対するのか。文章を書いていてよく分からなくなってきたので、正論について調べてみた。
正論(せいろん)は、道理を説く論について正しいものであると評価する呼び方である。 事実に関する議論や認識論について用いられることはあまりなく、ほとんどの場合が「**であるべきだ」という当為についての論である。 そのため、論の対象は道徳、倫理や規範、政策など、公共的な要素をもつものが多い。(Wikipediaより引用)
検索していく中で個人的に興味深いと思った某知恵袋の質問と回答があった。
質問者は「正論を言う人が嫌われるというのがわからない、正論が正解なのではないか?」というような質問をした。それに対して回答者は「考え方、バックグラウンドが違う人同士で話している以上、相手が会話に何を求めているかを考える必要があります。正論を言うから嫌われるのではなく、言い方やTPOをわきまえない発言をするから嫌われるんです。」というような回答をした。
何だか腑に落ちた。例えば話し相手から「彼氏がうざい」と愚痴をこぼされた時、きっと相手は「じゃあ別れれば」「彼氏を刺し殺せば」というような回答は求めていない。彼氏との関係を断ち切れば、彼氏がいなくなれば「彼氏がうざい」という悩みは解決するだろうが、そういう問題ではない。正論を言う人は0か100かで考えがちなのだろうと考えた。実際に私がそうだから。