ジャック・アタリ著、林昌宏訳『食の歴史』(プレジデント社、2020年)は食の歴史と未来を語る書籍です。食に対する哲学的な考察も含まれています。
現代の飽食の傾向に警鐘を鳴らします。2018年は13億トンのも食糧がゴミとして捨てられました。これは地球で生産された食物の3分の1に相当します。飽食の時代の恐るべき無駄です。フードロスの削減はSDGs; Sustainable Development Goalsでも掲げられています。持続可能な世界のために飽食の時代から脱却が必要です。
一方で本書にはステレオタイプな論調も感じます。本書の宣伝文句には「欧州最高峰の知性」とありますが、日本のフード左翼(速水健朗『フード左翼とフード右翼 食で分断される日本人』朝日新書、2013年)の常識レベルの話もあります。
先進国の貧困層は、家計費に占める食費の割合を減らすために新鮮な食物よりも、食品業界が工業的に作る安価な食品を食べているとします。この対比は理解できますが、その具体例は貧困層が赤肉と鶏肉を過剰に食べ、野菜と果物をほとんど食べないとの肉食と菜食の対比になっています。これはどうでしょうか。肉を食べて野菜を食べないことは値段の問題でしょうか。肉よりも野菜の方が安いのでしょうか。
処方箋も疑問です。消費者に求められる行動として、家計に占める食費の割合を増やすこととします。フランス人全員がより健康な食生活を送るために1日当たり0.1ユーロ余分に支出すれば、フランスの農民の収入は毎月およそ250ユーロ増えるとします。これでは事業者が豊かな生活を送るために消費者がもっと金を出しなさいとなってしまいます。
そもそも貧困層の食生活が食費を節約するためであるとしたら、家計に占める食費の割合を増やすことは非現実的な要求です。日本では消費者に歓迎される野菜にモヤシがあります。モヤシは工場で生産されており、それ故に安価に供給されます。野菜の消費を増やしたいならば植物工場による供給という方向性も考えられます。フードロスの問題にしてもITを利用して需要と供給のミスマッチを解消しようという解決策が提案され、現実に適用されています。
恐らく本書にはファーストフードに代表されるアメリカ流資本主義に飲み込まれず、ヨーロッパの独自性を守りたいという姿勢が根本にあるのではないかと推測します。そうであるならば日本人が米国流ファーストフードを敵視し、ヨーロッパ流スローフードの真似をすることは滑稽です。
日本は産業革命こそ起きませんでしたが、江戸時代から資本主義的な食のスタイルが発達していました。寿司も蕎麦うどんも立派なファーストフードです。寿司は炭水化物とタンパク質を同時に摂取する点でハンバーガーと同じ構造です。日本はアングロサクソンよりもヨーロッパ大陸諸国に近いと考えられがちです。しかし、それは明治以降の誤った方向性の結果で、コンビニの普及が示すようにヨーロッパ以上に米国流合理主義と近いものが元々あると言えるのではないでしょうか。
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