「若者に風呂なし物件が人気」との記事が批判されています。若者が風呂なし物件を選択することを新しい価値観として肯定的に取り上げます(佐藤ちひろ「東京の若者に「風呂なし物件」がじわり人気の訳 「高い家賃で新築物件」ではない"価値観"」東洋経済Online 2020年3月26日)。これに対して単に貧困化が進んで選択肢が限定されているだけと批判されます。住まいの貧困を示すものでしょう。2020年の記事ですが、最近のTwitterで注目されました。
銭湯があれば風呂がなくても良いと言いますが、寒い日や雨の日に銭湯に行くことは億劫です。折角温まっても、帰宅するまでに冷めてしまうこともあるでしょう。毎日銭湯に通うとしたら、コストがかさみます。家賃の安さ以上の出費になりかねません。
貧困者向けのビジネスは、実は割高で貧困者を搾取していることがあります。敷金や礼金のない物件で高額の退去費用が請求される、家賃支払いが1日でも遅れると高額な違約金が請求される、無断で鍵を交換し家財を処分されるなどの問題が起きました(「”ゼロゼロ物件”の被害続出! 住宅「貧困ビジネス」の強欲」東洋経済Online 2008年10月31日)。
それしか選択できない状態にしながら、それを主体的な選択と決めつける勘違い自己責任論が日本ではまん延しています。例えば医療分野でもコロナ禍による医療資源ひっ迫から、高齢者などに人工呼吸器をしない選択を求めようとする傾向があります。
風呂なし物件がリーズナブルとは思いませんが、一方で「「高い家賃で新築物件」ではない"価値観"」には意味があります。批判者には20世紀の日本は豊かだったという昭和ノスタルジーから記事を全否定する立場もありますが、サステナブルな価値観への転換は肯定できます。新築住宅は環境負荷が高く、空き家が増えている時代に資源の無駄です。新築信仰は日本の中古不動産市場がレモン市場であることが大きいです。消費者が信頼できる中古物件を選ぶことは不動産市場の健全化になります。
サステナブルな価値観への転換と言えば、Twitterではサイゼリヤをデートの場所とすることが話題になりました。値段と味や品質は比例しません。無駄に金を使って金を回すことが経済発展という昭和の発想を否定します。値段が高いものが良いものではなく、消費者に価値を提供できるかが問題です。「サイゼリヤでいい」ではなく、「サイゼリヤがいい」です。この点が風呂なし物件とは異なります。