2024年は能登半島地震や羽田空港航空機衝突事故、北九州市小倉北区の商店街火災と「明けましておめでとうございます」と言うことも憚られる正月になりましたが、本年もよろしくお願いします。
初詣に埼玉県川越市の川越八幡宮に行きました。川越八幡宮は長元3年(1030年)に源頼信が平忠常の乱の戦勝を祈願して創建されました。2030年で創建1000年を迎えます。境内には「創建千年まであと六年」の幟旗が林立していました。
川越八幡宮は八幡宮であり、主祭神は誉田別命(応神天皇)です。天皇家の伝承では25代目の武烈天皇で断絶し、15代目の応神天皇に遡って、その5世の来孫の継体天皇が26代目となりました。そのため、天皇家の直接の祖先として信仰の対象となりました。
川越八幡宮は桃の神様である意富加牟豆美命(おおかむづみのみこと)も祀ります。伊耶那岐命(いざなぎのみこと)が黄泉国から逃げる際に桃の実を投げつけて妖魔を退散させました。伊耶那岐神は桃の実に自分を助けたように葦原中国の人々を苦しみにある時に巣くうように命じて意富加牟豆美命という名を与えました。
厄割桃があります。陶器でできた桃を厄割り石に投げつけて割ることで、災厄が割れて無くなります。割ってしまうことが勿体ない桃の素焼きですが、「厄よ去れ」と念じて投げつけます。スッキリと割れて、気持ちもスッキリします。
祭神の大国主命(おおくにぬしのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)は目の神様と位置付けます。境内には御神木「目薬の木」が生えています。
川越八幡宮が創建された時代はNHK大河ドラマ『光る君へ』から『鎌倉殿の13人』につながります。この時代は後一条天皇の治世でした。後一条天皇は藤原道長の娘の中宮彰子の子です。長和5年(1016年)に僅か8歳で即位し、幼帝ということで道長が摂政となりました。道長は寛仁2年(1018年)に三女の威子を後一条天皇に入内させました。その祝宴で道長は「この世をば我が世とぞ思ふ望月のかけたることもなしと思へば」と詠みました。
道長は万寿4年12月(1028年1月)に没し、その半年後の長元元年(1028年)6月に平忠常の乱が起きました。関東の武士の平忠常が安房国の国府を襲撃しました。反乱は上総国や下総国にも広がりました。天慶2年(939年)の平将門の乱以来の関東での大反乱でした。
望月の歌を詠んだ道長は摂関政治の最盛期をもたらしました。しかし、満月は欠けていくものです。道長没後に平忠常の乱が起きたことは道長の時代が文字通り最盛期であったことを物語ります。
朝廷は平直方に反乱鎮圧を命じますが、反乱は長元3年(1030年)になっても鎮圧できませんでした。朝廷は7月に直方を更迭し、新たに河内源氏の源頼信が追討使に任命されました。頼信は反乱を鎮圧し、頼信と子の頼義の武名は大いに轟きました。
平忠常の乱を平定して京に凱旋した頼義は小一条院(敦明親王)の判官代になりました。判官代は院の家政機関の職員です。長官が別当、次官が判官代です。小一条院は三条天皇の子です。当時の天皇家は村上天皇の子の冷泉天皇の系統と円融天皇の系統に分かれていました。三条天皇は冷泉天皇の子です。頼信は冷泉院の判官代であり、頼義が冷泉院の系統の小一条院に仕えることは自然なことでした。
しかし、道長は円融天皇の系統を贔屓していました。三条天皇に圧力をかけて退位させ、自分の娘の彰子の子の後一条天皇を即位させました。三条天皇は自分の子の敦明親王を東宮とすることを条件として退位しましたが、三条上皇崩御後に反故にして圧力をかけ、敦明親王は皇太子廃位を願い出ることを余儀なくされました。代わりに敦明親王には小一条院の尊号が贈られ、太上天皇相当の扱いを受けました。これは後の室町時代の南北朝合一後の南朝の後亀山天皇の扱いと重なります。
頼義は小一条院に重用されましたが、小一条院は権力中枢から外れていました。頼義は長元9年(1036年)に相模守になりました。そこで頼義は平直方の婿に迎えられ、鎌倉の地を譲り受けました。これは河内源氏が関東に進出するきっかけとなりました。この経緯は源頼朝が鎌倉を本拠地と定めた理由の一つになりました。頼義と平直方の娘の子が八幡太郎義家です。
清和源氏は源満仲の子の代に枝分かれしました。長男の頼光が摂津源氏、次男の頼親が大和源氏、三男の頼信が河内源氏です。河内源氏は清和源氏の本流ではありませんでした。頼光や頼親は藤原道長の側近となりましたが、頼信は東国に活路を見出しました。それが逆に武門の棟梁として発展することになりました。
頼義が直方の婿となった話は鎌倉時代に強調されました。直方の子孫を称した北条政子が源頼朝に嫁ぎました。執権北条氏にとって頼義と直方の関係は源氏と自己を重ねることになり、北条氏の存在意義の正当化になりました。
冤罪繋がりの畠山重忠と道場天満宮
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