東急不動産ホールディングスと東急不動産が新本社「渋谷ソラスタ」で従業員に頭部に脳波測定キットを装着して働かせる実証実験は、監視社会のディストピアになると炎上しました(林田力「東急不動産従業員の脳波センサー装着への違和感」ALIS 2019年10月6日)。
https://alis.to/hayariki/articles/3re9z1VEDvkZ
東急不動産の実証実験を気持ち悪いと受け止め、炎上することは自然です。むしろ、東急不動産が批判や反感を誤解と位置づけ、正面から受け止めようとしていないことに驚かされます。東急不動産は「誤解が広がっているが、社員の気持ちを把握するといった使い方ではなく、提案の際のデータとして使うものです」と主張します(「「従業員に脳波測定キット」が波紋 東急不動産は「記事の修正を依頼中」と困惑」弁護士ドットコム2019年10月2日)。
https://www.bengo4.com/c_23/n_10196/
これに対してはニセ科学であると批判されています(山本一郎「企業が社員の脳波を監視する時代が到来(東急の釈明を受けて、追記あり)」Yahoo!ニュース2019年10月2日)。
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東急はまったく理解していないようですが、そもそも脳波で「緑がある環境は落ち着く」かどうかの測定などできません。起きている時間帯の脳波はノイズが多く、原則としてまったく使い物にならないためで、リラックス効果があるから覚醒時に特定の脳波が出るという言説そのものが立派な「ニセ科学」です。
これをモデルとして東急が第三者に働きやすいオフィス環境のモデルとして提案するのだとするならば、騙されて導入してしまった脳波測定の仕組みを、騙されたままさらにオフィス環境改善提案の具にするというダブルで騙されている話になり、東急はいったい何を考えているのかという話に直結することになりますので、この釈明が事実だとするならば即刻事業を中止するほうが東急の職場環境のためではないかと思います。
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https://news.yahoo.co.jp/byline/yamamotoichiro/20191002-00145114/
東急不動産の「社員の気持ちを把握するといった使い方ではなく」との言い訳は、実証実験への好意的な感覚も否定します。今やMicrosoft AzureのFace APIやAmazon RekognitionのようにAIを利用して表情の画像から、その人の感情を分析できるサービスが登場しています。アイデアソンやハッカソンでは、これらの APIを利用して直接声に出さなくても、困っている状態を上司などが認識して対応できるようにする仕組みが提案されています。
東急不動産の実証実験はオウム真理教のヘッドギアを連想する脳波測定キットの装着という手法への嫌悪感は残るとしても、声に出さなくても周りが配慮できるようにするコミュ症に優しい職場を目指すという目的ならば一定の擁護論も出たでしょう。ところが、東急不動産は社員の気持ちの把握を否定することで、この立場からも擁護できなくなりました。
声に出さなくても周りが配慮できるようにする仕組みには需要があります。一方で思考や感情が全て筒抜けになると悲惨です。漫画『ドラえもん』では野比のび太は話すことが面倒臭くなったために「テレパしい」という秘密道具を使います。これによって頭の中で思ったことが近くの人に直接伝わるようになります。しかし、あらゆる思考が相手に伝わることで酷い目に遭います(藤子・F・不二雄『ドラえもん 18』小学館、1979年)。この点で外部に出ている表情を分析するAIはギリギリセーフ、脳波測定キットはアウトになるでしょうか。
脳波測定キッドの装着は社員の同意を得たものとしますが、労働関係の「同意」を自己決定権で語ることはアリバイ作りにしかなりません。それはマンションだまし売りを消費者も同意して契約を締結したと正当化することと同じです(林田力『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』ALIS 2020年3月20日)。
何のために相手の思考や感情を読み取るかも問題です。声に出さない思いも周りが配慮できるようにする仕組みは善意を出発点としたものです。「地獄への道は善意で舗装されている」と言われるように善意を出発点にしていても弊害が生じることはあります。しかし、最初から悪意の場合もあります。
精神論根性論のブラック企業に悪用されると危険です。漫画『鬼滅の刃』の鬼舞辻無惨は「そんなことを俺たちに言われても」と内心で思った部下に腹を立てて殺しました(吾峠呼世晴『鬼滅の刃 6』集英社、2017年)。東急不動産の実証実験は「集中度」「興味度」「わくわく度」など精神論的な指標になっています。東急不動産の実証実験に対してブラック企業のディストピアを連想した意見が多かったことは自然な帰結になります。