昨日の「才能がないとわかったら天才」という記事に、無駄な努力はない、と言うことを書いた。
努力自体に無駄はないけど、その努力をした部分すぐに見捨てたり、気づかなかったりしているだけで、どんな努力自体も無駄ではないと思っている。
無駄なのはその努力を利用できないこと。努力ではないと思っている。毎日6:30〜YouTubeで演奏配信と練習配信をしている。今日は努力に無駄はない、ということに向き合って対話していきたいと思う。
テレビが家からなくなってずいぶん経つ。たまに仕事でビジネスホテルに泊まるとテレビのリモコンが置いてある。
沢山のボタンが正直何をどうすれば良いのかわからない。が、なんだかわからないけどとりあえず触っていたりするとこれが電源、チャンネル変更、などわかっていく。
何日もいたりすると、最初はボタンの位置が分からなくて次第に見なくても押せるようになる。
これは以前に似たような仕組みのものを知っているからできること。機械はまず電源をつける。そして目的の機能を使う。
そんなことが知らないうちに学習している。そんなことが常日頃起こっている。なんでこんなことを書くかと言えば、ピアノを練習していて同じことを思うからだ。
毎日6:30〜演奏&練習配信中
やりたくないのに、今後一才使うこととない、それなのに無理矢理やらなければいけないこと。そんなことはあるだろうか。
そんな状況にもしあったとしたらそれはこの法治国家に置いて大変なことだ。すぐに逃げ出した方がいい。
肉体労働をしたとしても体が鍛えられてしまう。筋トレなんてしなくてもいいくらいに。データ入力だってより早くできる方法を絶対選択しているはず。
わざわざ遠回りの作業をする人などいない。僕はたまに遠回りをして歩いて帰ることがあるが、そこには運動だ、という自己認識がある。
実際に化学的に効果があるかは関係ない。人間は自分の行動に理由を欲しがるもので一貫性の法則が働くことが知られている。
全く無意味な行動することはそもそもできない、僕はそう思っている。ラーメン屋でラーメンを注文をして床にひっくり返して帰る、そして倍払って帰る。そんなことを毎日続けることができる人がいるだろうか。
何をやっても成長してしまうからこそ、自分がやり方は好きなことをやる、やっていることに好きな部分を見出す。
わかりやすい芸能人!とかそういった好きなことでなく、例えば何かを成長させるのが好き、と言う人がいれば植物を育てるのも楽しいかもしれないし、ゲームのレベル上げも好きかもしれない。
そういったことをやる方が毎日は楽しくなる。
そうなると自分との対話は何より大事で、他人のことを考えて空気を読むよりは自分のことを考えて何が好きかを知ることは大切になる。
肉体労働をやって体が筋トレしてる並に鍛えられたとする。その後、職を変えてだらりと暮らせば体はだらりとなる。
そのまま、適度な運動を続けた方がメリットは多い。病気の予防、健康寿命を伸ばすのに運動は避けて通れない。やらない選択肢は不健康を選択しているようなもの。
そうなるとその体を少しだけキープするくらいの適度な運動を続けるくらいが結局良いし、体力もキープされる。いいことずくめ。
でも、やらないことがあったりする。そしてふたたびその体を作るころには気力がない、年齢が、才能がない、といっているかもしれない。
何をいっても良いが、全て自分にとってただひたすらマイナスなことだけは間違いない。
何をやっても成長する、と言うことは何もやらないとしっかりと退化する、ということ。とても嬉しいようで何もしないのは相当怖い。
無駄な努力はそもそもない。努力したものを無駄にしているだけだと思っている、かねこは明日もジャイアントコーンを二つ食べようと思う。
「ただジャズが好きなだけ」な毎日ジャズピアニストの金子将昭。毎朝6:30〜コーヒーとジャズと演奏生配信。演奏動画にテキスト解説。みてるだけで音楽教養かも。かねこのジャズチャンネル。チャンネル登録よろしくね(✿︎´ ꒳ ` )↓
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毎日ジャズピアニストかねこ