論理的に捉えていたわけではないけど、流行り物はみるべきと思っています。
「鬼滅の刃」や「YOASOBI」、流行り物は良い悪いではなくその時代の価値観の物差しのようなものだと思っているからです。
だけどこれだけではみる理由として腹落ちしません。
そんな中で先日、時間の本を読んでいたら急にふっと考えがつながったのでそれを今日はアウトプットしてみたいと思います。
仕事仲間や友人が作ったりした作品を見る機会があったりすると、必ず僕は「これはどんな意味?」と聞き返します。
そうすると表現している部分がとても細かく難しく難解な本人以外には辿り着けないような袋小路になっていることもしばしば…。
そうなるとやはりこの作品を受け入れたくても受け入れることが出来なかったりします。できるのは「なるほどね、かっこいいね!」と社交辞令に言うことくらいしかできません。
一方でわかりやすいものもまた同じです。
何を表現したいかがすぐにわかると、最初は作品を理解した満足感で親近感が湧いたりもしますが余白がないためにつまらなくもなってしまいます。
音楽を作ろうと思えば昔よりはるかに高音質で誰でも作れるようになりました。映像を撮ろうと思えば90年代くらいのMVなら誰でもすぐに作れるようにもなっています。
かといってスマホで撮って編集してアップしてもそれは流行り物にはなりません。それらを使って作るものは誰でも作れるものです。
僕はそれを「真ん中のもの」と表現します。わかりやすいものと難しいものの真ん中にある評価が真ん中であるものです。
最近コピーライティングの本を何冊か読みました。コピーライターの人が解説をつけている本です。
最初にコピーとポスターが出てきてそのあと解説がついていました。見ただけでは何を意図してるかわからないものがありましたが、解説を読むとわかるものなどありました。
その中で印象に残ったものはなんだろうと考えたときに難しくてわからないものではなく、しかしわかりやすいものでもない、「程よくわからないもの」にとても魅力を感じることに気づきました。
「程よくのわからなさ」が余白を作り、そこに可能性を感じでその作品の印象を強くしているように感じました。
この程よくわからないものや真ん中のものは時代によって変わります。
昔の流行り物は今見てもピンとこない場合もあります。昔は程よくわからなくても今は難解かわかりやすくなってしまっているからです。
もし自分で作ったものが、その時代の程よくわからないものにピタッと合っていたら注目されるのだと思います。
僕の作品は残念ながらピタッと合わないみたいです。
つまり僕は世の中の真ん中とそしてそのちょっと上の程よくわからないという価値観が備わってないということです。
なので、それを解るために流行り物を見ようというのが僕の流行り物をみる理由です。
最新の流行ってるものには色々と理由があり、それなりに長く続くものにもやはり理由がある、その理由に気付くし人もいるし、感性でピタッと合う人もいるし、今合わない人もいるし、過去に合ってた人もいる。
アーティストだからそんなこと考えなくて良いよ、ということはないな、と思ってます。社会で仕事をしているアーティストは合っている人たちと思ってます。なんとか合わしにかかりたいかねこです。
「ただジャズが好きなだけ」な毎日ばジャズピアニストの金子将昭。見てるだけで音楽やジャズや文化が詳しくなる動画を投稿しています。
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毎日ジャズピアニストかねこ