ども!kassyです。
1週間以上記事を書いてませんでしたwww
どうもALISとnemlogの両立は正直厳しいですねwww(ネタ切れってワケではありません)
以前、nemlogでこんな記事を書きました!
崇神天皇以前は宮中で祀られていた「天照大御神」が初めて宮中外で祀られた場所が日本書紀に「倭笠縫邑」と記載されており、比定場所が複数存在する中、独断と偏見で奈良県磯城郡田原本町多にある「多坐弥志都比古神社」と決めつけました。
「多坐弥志都比古神社」については以前ALISでも取り上げました。
紹介記事がコチラ↓
nemlogで記事を書いてからも継続して調べていたわけですが、元伊勢『倭笠縫邑』の場所を特定するに良い資料が見つかったので今回はALISで書いてみたいと思います。(御朱印にはほとんど関係ないですがwww)
大阪市東成区深江に「倭笠縫邑」から良質な笠の素材を求め笠縫氏一族が移り住んだ場所が残されています。笠の材料となる菅(スゲ)は湿地帯を好んで自生する植物らしく、この辺りは古代、湿地が広がり入り江に浮かぶ島の状態にあったようです。
面白い画像を見つけましたwww
かつて古代大和には広大な奈良湖(大和湖)が存在しており、青い部分が湖で水色部分が湿地帯であったと考えられています。
つまり、笠の材料となる菅が自生していたに違いありませんw
また面白いのが緑部分が古代から陸地だった場所ですが、湿地を囲うように遺跡が点在しており、強ちデタラメな学説でもないと思っています。
加えて、「多坐弥志都比古神社」のある田原本町には駅名として残る「笠縫」の他、「三笠」、「笠形」と笠に関連した地名が多く残っており、私の独断も結構的を得てるかもと思った次第ですwww
今回は、全く「御朱印」関係なしで申し訳なかったんですが、嬉しくて書いてしまいました・・・
次回は御朱印関連記事を書きます!w