10代の頃からあったそんなぼんやりした憧れは、なんの形にもならないままあっという間の20代は過ぎていった。30歳を越えたあたりから、ぼんやりの濃度が変わらず同じであることに、さすがの自分も焦りだしていた。「やればできる子」と言われ続けてはや30年。そのぼんやりとした可能性がゆるゆると未来に先のばされ続ける限り、僕は一生傷つかないままだ。このままこのわたあめのような甘いぼんやりに優しく包まれながら、それなりに楽しく生きていけるのではないだろうか。
深夜のTVに赤ら顔の年老いた男が映っている。街で見かけた一般人に突然声をかけ、自宅まで付いていくという番組だ。スナックから出てきたばかりの男は上機嫌でカメラマンを自宅に招待する。一人暮らし、荒れ放題の自宅で、男は自分の身の上話を始める。男は本当は東京で歌手になりたかったのだという。いや、男はけしてその夢を過去形では語らない。今もチャンスがあれば東京にオーディションを受けに行く気は満々だ。タンスから得意げに出してきた上下真っ白の衣装スーツには、古着屋で1000円の値札が付いていた。「な!いつも言うてたやろ!俺はいつかスターになるって!今日がそのスタートの日や!」
僕は男を責める気にはなれない。誰でも単調でただ辛いだけの毎日から抜け出すために、自分を癒し逃避させてくれる自分だけのファンタジーが生きる場所を持つ権利はある。ハリーポッターだって元を正せば貧乏なおばはんの夢物語だ。
だが、自分もそれでいいのか。あのTVの男と僕にある違いは、僕にはまだ彼よりも少しだけ多くの時間が残されているという事だけじゃないのか。
行動にうつそう。
今までにない焦燥感に追われた僕は、早速、ネットの海に山とある英語学習サイトを覗いてみた。
“まず、なぜ英語を話したいのかはっきりさせましょう。「なんとなくカッコいいから」といった曖昧なものではなく、なぜカッコいいと思うのか、英語を話してどのような自分になりたいのかを明確にしましょう。”
「“カッコいい”と言えば、ブラッド・ピット。ブラッド・ピットは英語を話している。英語を話せる僕。僕=ブラッド・ピット。」 よし、クリア。次。
“英語学習の教材には、自分の興味・関心に合ったものを選びましょう。”
「僕の好きなもの。うどん。お笑い。あと下ネタ。これらを英語と絡めていけばいいわけだな。まずはうどんを茹でよう。I’m going to boil udon.」 順調、順調。
動機づけ、学習戦略までは完ぺきだったはずなのに、その後もなぜだか英語学習が習慣化される事はなかった。なぜだ。俺がブラピじゃないからか。俺がブラピだったら、そもそも英語もペラペラだし、何の努力もしなくてよいのに。何もしていないのにその2つをいきなり手に入れてるあいつはなんなんだ!そうかブラピか!畜生!ブラピめ!ブラピやがって!お前にブラピられたら、俺はこれから誰を信じて生きていけばいいんだ!そうかブラピか!そんな無限ブラピループにはまりながら、いつものようにだらだらとネットサーフィンしていたある日、「FML」http://www.fmylife.comという、英語圏のユーザーが自分の身に起こったちょっとした笑える不幸話を投稿するサイトで、下のような投稿に出会った。
“Today, I found my first bra and tried it on. It still fits. FML”
katakoto訳『今日、初めて買ったブラを見つけたので、試しに着けてみた。いまだにぴったり。』
な、なんだこの読後感は。
まるで仕事の休憩中、何気に見た伊藤園のペットボトルの「お~いお茶新俳句大賞」に魅入られてしまった時のよう。染み入るワビサビ。短い中にも人生の中で時が変えてしまうもの、そしてけして変わらないものを詠った実に味わい深い作品である。英語でもこんな心の機微をつく表現が可能なのか。これはもはや俳句や歌がもつ抒情。愛しさと切なさと心強さと。部屋と初ブラと私。
運命的な出会いだった。
この日から、僕は取り憑かれたようにFML内から心に響いた投稿を取り上げ、自分なりに訳していく作業に没頭していく事となる。それがすでに、この後に続く壮大な「シコル・トリロジー」の序章であった事は、本人はまだ知る由もない。(つづく)