“お庭の入り口には、おおきなバラの木が立っていました。そこにさいているバラは白でしたが、そこに庭師が三人いて、それをいっしょうけんめい赤くぬっていました。アリスは、これはずいぶん変わったことをしていると思って…”
引用元:不思議の国のアリス
金のなる木はない。それがあると信じるのは愚かだし、我々の両親はそうマントラのように繰り返すことで、そのことを我々に知らしめてきた。我々はお金は賢く使い、軽々しく浪費しないように、そして大変な時期に助けとなるよう調子の良い時期には貯めるように奨励されてきた。お金は、結局の所、木にはならないのだ。
ビットコインは私に、お金について私が知る必要があると思っていた以上のことを教えてくれた。それを通して、私はお金の歴史、銀行業、様々な経済思想の学派、その他多くのことを探求せずにはおれなかった。 ビットコインを理解するための探求は、このシリーズで探求しようとする多くの小道へと私を導いた。
最初の7つのレッスンでは、ビットコインが触れている哲学的質問のいくつかが議論された。 次の7つのレッスンでは、お金と経済について詳しく見ていく。
繰り返すが、私はほんの表面を引っ掻くことができるにすぎない。ビットコインは野心的なだけでなく、その対象範囲は広くそして深い。1つのレッスン、エッセイ、記事や本で関連するトピックのすべてをカバーするのは不可能である。可能であるかどうかさえ疑わしい。
ビットコインは新しいお金の形であり、それを理解するには経済学について学ぶのが最優先事項となる。人間の行動の性質と、経済主体の相互作用を扱う経済学は、おそらくビットコイン・パズルの最大かつファジーなピースの1つである。
もう一度言おう。これらのレッスンは、私がビットコインから学んだ様々なことの探求である。ラビット・ホールに潜った自身の旅の個人的な反映である。経済学の背景知識を持っていないので、間違いなく自身の快適範囲からは外れており、とりわけあらゆる私の理解は、不完全であるのを認識している。自身を笑い者にするリスクを冒しながらも、私が学んだことの概要を伝えられるようベストを尽くす。結局の所、いまだ私はこの問いに答えようとしているのだ。 “私はビットコインから何を学んだのか?”
哲学のレンズを通した7つのレッスンの調査後、今度は経済学のレンズを使ってもう7つを調査してみよう。今回提供できるのはエコノミークラスのみ。最終目的地はサウンドマネー(健全なお金)だ。