同じ悩みを持つ人へ
MALISさんの記事を読みました。
記事の最後、「みんな苦手なことって、あるよね?」って聞かれた気がしました。
自分の苦手なことを振り返ってみます。
僕は、人と話すのが苦手な子どもでした。
実は今でも苦手なので、過去形でいうべきではないかもしれないけど。
小さい頃のことはなかなか思い出せないのですが、主観的には「何を話していいかがわからない」と常に思っていたような気がします。
今思うと、場面場面のなかで「正解」とされる発話や応答があるのですが、その「正解」がわからず、その場面で要求されている「コード」がうまく理解できず、適切な会話ができないということだったのかもしれません。
でも、「わからない」なりになんとか会話を成立させようとするのですが、その場の「コード」に合わない反応をしていると、相手の反応も微妙になるし、もちろん会話は続きません。
そういうネガティブな反応が返ってくる経験をしていると、余計に「僕は話をしないほうがいいかな」と思うようになっていったのかなと思います。
ただ、特に小学校では顕著ですが、いろんな場面で「あなたはどう思っているの?」と問われたり、友達やグループで話し合ってみましょうみたいなことが多くて、なにかと「話すこと」が求められるんですよね。
で、何も言わずにモゴモゴしていると、「はっきり言いなさい!」って怒られたり。
そう言われるとなんとか話そうとしますが、そうすると今度は微妙な反応をされたりして。
そもそも、なぜ話をすることが苦手だったのかというと、僕の場合は…
ということがあると思います。
僕は先天的に鼻の中の構造に身体的に正常ではないところがあって、常に鼻が詰まっている感じになっています。
ということは、鼻づまりしているような声がデフォルトなので、声を出すのが恥ずかしいという気持ちがありました。
それに加えて、
なので、相手の話が終わる前に話し始めたり、あるいは、相手が言いたいことや反応してほしいことを一つ一つ汲みながら返答するというよりは、その先を勝手に想像して答えてしまいます。
そうすると、話のテンポが合わなくて、相手の反応が微妙になってしまうということがあったのかなと思います。
でもまあ、結局のところは、
ということに尽きるのかもしれません。
いわゆる「空気を読む」ということができなかったのかなと思います。
まあ、そう思うと、今も子どものころからあまり変わっていないのかもしれません。
ただ、MALISさんの記事と通じるところがありますが、この苦手も技術の進歩、というより、技術の進歩にともなう人と付き合う方法の多様化に救われることが多いかなと思うようになってきました。
昔は人とコミュニケーションをとるためには、面と向かって話をするか、電話をかけるか、もしくは手紙を書くかという方法ぐらいしかありませんでした。
いわば、音声・会話によるコミュニケーションが主だったわけですが、今は文字コミュニケーションの割合が大きくなってきました。
旧来の音声によるコミュニケーションはタイムリー性やアドリブ性が求められるので、「何を話していいのかわからない」「空気が読めない」僕のような人間にはなかなか難しかったのですが、文字コミュニケーションなら多少は時間をかけることもできるし、自分の目で見て確認してから相手に送信することができます。
音声は自分の喉元から発せられるダイレクトなコミュニケーションですが、文字を通じることでワンクッションおいたコミュニケーションを取ることができ、かなり楽になりました。
直接話さなくてもコミュニケーションが成立する、というのは僕にとって救いでした。
今でも電話やSkypeなどで話をするのは苦手ですし、そのせいか、外国語で話すということも苦手な方ですが、文字コミュニケーションと並行することができる環境が整備されてきたので、なんとかなっているかなと思います。
また、話をするのは苦手でした(今も苦手です)けれど、自分は話をしない分、相手の話していることを聴く力は伸びていったように思います。
相変わらず話の行間や文脈を読み取ることは苦手だと思っていますけれど、相手の話に出てくることを出来る限り聴き漏らさずに聴こうとすると、無理に裏を読もうとしなくても、音声として表現された言葉からだけでも読み取れることはあると思うようになりました。
そんなこともあって、僕の外国語能力は話す能力よりも聴く能力の方が圧倒的に高いです。
アンバランスなのはよろしくないなあと思いますが、今のところはこれでもそれなりにやっていけてるので、話す能力もまあゆっくり伸ばしていけたらなあと思っています。
それに不思議なことに、今はなぜか人と話をする機会の多い仕事をしています。
苦手なことを仕事にすることになったというのは何の因果かなと思いますが、今のところは、仕事上の役割をまっとうすることで、それなりに話をすることができるようになってきました。
「役に入る」というか、「キャラを演じる」というか、いずれにしても「話をしないといけない立場」に自分を置いたことで、自分の苦手をとりあえずなんとかすることはできているかなと思います。
まあ、相変わらず、自分の苦手を克服するには至っていませんが、それなりになんとかなっているので、無理に克服することにエネルギーをかける必要もないかなと、気楽に考えています。
同じような悩みを抱えている人もいるかと思いますし、そのことで深刻な状況に置かれている方もいるかもしれませんので、簡単に「こうしたらいいんじゃない?」「こう思えば変わるよ!」とは言えないと思います。
でも、時間が経てば解決することもあるし、立っている場所が変われば苦手をコントロールしなきゃいけないようになって、なんとかやっていけることもあるかもしれません。
それに、技術の進歩がいろいろなことを少しは楽にしてくれるようになってきているようにも思います。
そんな時に、苦手なことを苦手なまま抱えていかなくても良い方法が、もしかしたらあるかもしれません。
そうした方法がありそうだなと思ったら、存分にそれを使えば良いと思います。
「私たちの人生は平等ではない。
けれど、権利を主張する権利だけは平等にあるはずです。」
MALISさんの記事に触発されて、自分の苦手なことを振り返ってみました。
興味ある人いるのかな〜と思うと不安ですが、たまにはこんなことをALISに書いてみてもいいのかなと思います。
カテゴリ制限もなくなりましたしね。
僕のように、同じような記事を書く方が出てくるのかなという気持ちも少し込めて…
みんな苦手なことって、あるよね?
kaz