昨日の記事は沢山の方に読んでいただけてとても嬉しく思いました。
皆さんのおかげもあり100いいねを突破いたしました。
これからもよろしくお願いいたします。
これは受け手の人生感や知識によって異なるものと思っています。
技術的な面の話や専門用語を織り交ぜながら書いてある
知識を増やす為の記事だと考えます。
技術面で如何に優れていても読み手に知識がなければ理解できない
理解できない記事を評価することが出来るか?
仮想通貨をやった事の無い人に対しても理解できる言葉で書いている人が
良質と判断されるのではないでしょうか?
この2つの記事はそれぞれには評価されていると考えます。
・知識が豊富な人は初心者用の記事は物足りなく評価されない
・逆に知識がない人には上級者用の記事は何を書いているのか分からない
つまり書き手側に万人に共通する良質な記事を書けと言うのは不可能なことではないのでしょうか?
私はALISにはいろいろな人が色々な記事を書いていいと思います。
初めて書く人も居ると思います。良質な記事が書けないなら出すな
そんなことではALISには記事がほとんど上がらないでしょう...。
”インフルエンサーとは世間に与える影響力が大きい行動を行う人物のこと”
これも言ってしまえば受け手、ALISで言う読み手の問題ではないでしょうか?
インフルエンサーが煽れば
イナゴタワーが建設されますね。
なぜ?既に知っているからではないでしょうか?
この人が煽れば草コインは上昇すると
もちろんあえて煽っている人も居ると思います。
しかし動くか決めているのは受け手側です。
インフルエンサーは影響力によって評価されている
これも読み手の問題ではないでしょうか?
記事を出している側は皆さん同様に
精いっぱい記事を書いていると思います。
もちろんそれを利用する人も出てくるとは思いますが...。
しかしTwitterを見てみるとALISβ版に登録して
Twitterをやっている人々はお互いにフォローしあっています
つまり現状はTwitterさえやってしまえば見てもらえる人は
大体似てくるのかもしれないですね。
後は読み手が受ける印象でしかないと思います
なぜ?知っているからではないでしょうか?
この人の記事にはいいねが集まると、
ALISを評価しているのは受け手、読み手である。
言ってしまえばお前の記事にいいねが集まるのは意味が分からんと
投稿者に言った所で相手を傷つけるだけで何も変わらないですよね?
書き手は評価されなければ書き方を工夫していくと思います。
もし同じサムネ同じ内容の記事がALISに上がっています。
私はA:以前から知っている人の記事を読むと思います。
色々な意見があっていいと思います。あくまでも私の考えです。
ALISは【人】が評価する。そこに感情が存在していていいのか?
私は良いと思っています。
※もちろん記事と人とは直接的な関係はない場合も多くあると思います。
感情を必要としないのであればGoogleなどの
機械的な評価方法をとる方が正解だと思っているからです。
評価者が【人】である以上、どうしても思いや感情が含まれてくると思います。
評価者の価値観なども同じです。その人にとって重要かどうかそれも人である以上様々だと思います。
しかしそれは既にその人を知っているからだと思います。
それも信頼ではないでしょうか?
知り合いであっても読んでダメなら評価しなくていいんですから...。