バカな人間が真剣に物事を考えるとどれだけバカらしい答えに行き着くかを晒す試みです。
30代になり、投資やら保険やら、周りの友人がお金の話をすることが多くなってきたので、
「自分は馬鹿だから騙されるに違いない」と避けてきたお金のことについて考える機会が増えてきました。
いざ調べてみると意外に面白く、それもそのはず、人の歴史はお金の歴史なのだと至極当然のことにやっと気がつきました。
いろんな頭の良さそうな人にお金のことを聞いて回ると「コンテナ物語」という本に出会いました。
ギャング映画好きの趣味の合う人からの勧めで、この人から勧められたものは大抵面白いです。
まだ読んでいませんが、とりあえず買いました。
分厚いのでまとまった時間を作ってそのうち読もうと思いますが、ひとまず仕事の合間に動画サイトであらずじ紹介をいくつか聞いてみました。
コンテナが生まれる前は、輸送船が船着場に着いたら、荷役作業員が一枚の板で港と船をつなぎ、人力で積み卸しをしていたそうです。
一枚の板につき十人前後のチームになっており、そのチームは一生をともにするそうです。
また、この一枚の板のことを「ギャング」と呼ぶようです。
彼らは当たり前のように積荷をくすねる荒くれ者集団で、荷主からすると、好き放題させておくわけにもいきません。
少し酒を奢ってやったりなんだりして、彼らの好意を買うことで自分の荷物に手を出させないようにするなど、色々と苦心していたようですが、
毎度そんなことをしていたらラチがあかないので、彼らを威厳や暴力で統率する者を外注で雇うことにしたそうです。
やがてコンテナが登場。
彼らの積卸しの仕事はなくなり、荒くれ者集団と、それを暴力で統率する組織だけがそこに残りました。
そしてなんやかんやで「ギャング」と聞いて昨今の我々が想像する組織に変貌して行ったらしいです。
この件がこの本にとってどこまで重要な話かはまだ読んでいないのでわかりませんが、とにかく私はこのことにとても関心を持ちました。
ベイブレードの話
パーツの組み替えという知略や、コマを回す技術によって勝敗を分つ玩具ということになっています。
子供というのは残酷な生き物で、放っておくとすぐに暴力によるヒエラルキー社会を形成しだすので、ベイブレードのような玩具は暴力の代替物としてよさそうですね。
しかし、ベイブレードが知略と技術を競う玩具だというのは建前上の話で、結局のところはほとんどの場合新商品ほど強いので、常に新商品を買えて、より多くのパーツを持っている者が強いのです。
つまり、ベイブレードの強さは経済力に起因しているとも言えそうです。
子供たちはこの経済力の差を思いの外理解します。多くの場合はこれに服従しますが、代替物であるはずのベイブレードを純粋な暴力で抑え込む者も一定数存在します。
家庭の経済力によってどれだけ最新のパーツを多く持っていても、体の大きいいじめっ子に「そのパーツは使用禁止だ」や「ちょっとそれ貸してみろ」と言われてしまえばもうなす術はないのです。
せっかく暴力で戦うことの代替物としてベイブレード等の玩具が存在するのに、結局のところ子供の社会はある程度暴力に支配されてしまいます。
お金の話
各国が発行している通貨というものは、その発行元の国が潰れないことを担保に価値を保証しているものなわけで、
米ドルが通貨として最強の位置にあるのは、アメリカが一番喧嘩が強いことに起因していると考えられそうです。
戦争という極端に痛ましい例は存在するものの、暴力による争いはかなりの大部分がお金に代替されることで世界(少なくとも先進国)の治安はある程度維持されているように思います。
子供の頃はお金というものの力の強大さを正しく認識できていないから、シンプルに暴力でヒエラルキーが決まってしまうことが多いのでしょう。
かといって、大人になるとあまり暴力をふるわなくなるのは、決して暴力から開放されたわけではなく、あくまでお金という代替物を通して、その価値を担保する国家という巨大な暴力に屈服しているにすぎないのではないでしょうか。
なんだか人類にしては原始的に思えたので、これらの考えを否定できる理屈も考えてみましたが、馬鹿な私にはパッと思いつかなかったので、今のところの私の結論としては、
世の中には暴力を避けるためにさまざまな代替物が存在するが、ベイブレードや遊戯王カード、お金ですら、結局のところ暴力の代替物でしかないということ。
裏を返せば
モノの価値というものは突き詰めると「暴力」によって担保されている。
その暴力はなるべくオブラートに包むため、
各時代や世代、一人の人間の成長フェーズにおいて、入れ代わり立ち代わり様々な代替物に置き換えることになる。そうやって人類は成長してきたのではないでしょうか。
ということに思い至りました。
コンテナの話に戻ります。
積荷の安全を保証していた暴力は、イノベーションが起こり、コンテナに置き換えられました。
暴力が要らなくなったので、一見素晴らしいことに思えるますが、暴力が突然どこかに消え去ったわけではありません。
その暴力はどこに行ってしまったかと言えば、
そのことはアルパチーノやデニーロの出ている映画を見ればよくわかります。
ベイブレードのパーツを奪う子供の暴力程度のものは簡単に別のものに置き換わって行きますが、大きすぎる暴力を別のものに置き換えようとしたとき、元あった暴力の処理に困るということです。
正しい方向を向いていた(とされる)暴力が行き場を失うとどうなるかということは、近代の我が国でも西南戦争や二・二六事件事等で経験していますね。
お金のことについて人に聞いて回ったり思案を巡らせたりすると、
イノベーションは暴力を新しいものに置き換えてくれるが、残った暴力の取り扱いには注意が必要だ
という、おおよそお金とは関係なさそうで、且つ自分には何の必要もなさそうな教訓を得ることができました。
何でみんなもっと早く教えてくれなかったんでしょうか。
さて、さらにお金に興味が湧いてきたので、
かつては見聞きするだけで鳥肌が立っていた仮想通貨とかブロックチェーンとかいうものについて調べてみることにしました。
仮想通貨というものが今までの貨幣の代わりとなり、その価値を担保する存在としてブロックチェーンという仕組みが国家の代わりになるというのです。
国家という巨大な暴力装置の代替品が誕生し、暴力が必要なくなるのだそうです。
なんて素晴らしい話だ。
私は天国で今なお世界を憂いているであろうジョンレノンやボブマーリーの肩を叩いてやりたい。
彼らは自分達の役割が終わったことに感涙するに違いない。
反戦という、普遍的かに思われたテーマを歌った彼らの音楽は長く愛されてきましが、
これからの世代には全くピンとこない演歌のようなものに成り下がるのでしょう。
やや皮肉めいてはいますが、これはたいへん喜ばしいことに違いありません。
私は先ほど得たなんの役にも立たない教訓をもう忘れてしまったのか。
国家という巨大な暴力装置が宙ぶらりんになってしまう。
コンテナが荷役作業員たちを追い出したことにより、行き場のない暴力がギャングを産んだ。
ブロックチェーンが国家という巨大な暴力を追い出してしまったら、行き場のない暴力は何を生むのだろう。
これは大変なことになりそうだ。
まずいぞ。
新しいジョンかボブ、もしくはマイケルが必要だ。
この際ボブディランでもいい。彼はまだ存命か。
おや?
反戦の英雄たちの共通点が見えてきたぞ。
(もちろん「ボブ」という名前のことではない。それではレノンやジャクソンに失礼だろう)
かれらに共通しているのはマリ●ァナだ。
とにかくマリ●ァナを大量に集める必要がありそうだ。
そしてクロ=サワは麻薬流通を牛耳ることとなり、
後に伝説のギャングとして語り継がれることになるがそれはまた別のお話。
は?
◀︎前回の試み(都合につき有料 1ALIS)