マウントを取りたい人々
(1)
私は中学校の時、成績はトップクラスでした。そして、勉強ができない子たちに
「なぜこんな簡単なことが分からないのだろう?」
と不思議に思っていました。とても嫌なヤツですよね。
それなのに、勉強のできない子が私によく質問してきました。他に勉強のできる子もいたのに何故か私の周囲には質問をしてくれる子が多かった。その頃から何となく
「ボクはこんな仕事をするのかなぁ・・」
と、ボンヤリ考えていました。
私の年代には「特殊学級」と呼ばれるクラスが設置されていて知恵遅れ(これは今では差別用語かもしれませんがその頃の呼び名です)の子たちが所属していました。私は躾の良い生徒だったのでそんなイジメに会いやすい生徒とも普通に付き合っていました。
すると、特殊学級の子たちが話しかけてくるようになりました。
(2)
大学時代に名古屋でTOEFLを受けようと名古屋駅にいたら若い女性がウロウロしていたので
「どうされたのですか?」
と尋ねたらTOEFLの受験会場に行きたいとのこと。それで教えてあげた。試験後に大阪の会場がいっぱいだったので名古屋に来たと教えてくれました。
新幹線まで時間があったので名古屋を案内してあげたら感激したらしく名前と住所を尋ねられました。すると、台湾に帰国した後で手紙がきたのです。
「日本人はアジア人を見下す人が多いが、おまえは違った」
と書いてありました。
数年後に台湾を旅行した時に、本人は留守だったのですがお父様が出てきて
「日本で親切にしてくれたことは娘から聞いている」
とのことで、いろいろ案内してもらいました。
(3)
プーチンのウクライナ侵略のため多くの犠牲者が出ています。私がクリスチャンであることを知っている塾生の子の中には
「本当に神様がいるのなら、なんであの人たちを救わないの?」
と尋ねてくれる生徒もいる。
私も改宗する前は同じ思いを抱いていました。それで、
「もし神様がいるなら、なんで障碍者のような人が居るの?」
と尋ねたことがあります。すると、ある青年が言いました。
「神様のもとから地上に生まれてくる時に優れた霊が障碍者として生まれることを望んだのです」
きれいごとに聞こえますか?
(4)
私は躾の悪い人は嫌いです。約束の時間を守れない人のために自分の時間を無駄にするのは嫌だからです。論破することが勝利と考える人と議論をするのも避けます。何も生まれないから。
でも、障碍者の方やアジアからの訪問者を避けたりはしません。私は介護の専門家でも文化人類学者でもありません。でも、同じ人間として上から目線で話すことはないと思います。
なぜ、これを書いているかというと偏差値の高い「旧帝医学部医学科」受験生を指導させてもらっていると、上記のような人生観を共有できる方が多いからです。参考書や予備校選びの時間より、どういう人生観を持つかの方が学力アップと相関関係が強いと思います。
成績アップを望む人は多いのですが、人としてのスタンスがおかしいと学力が伸びなくなることを考える人は少ない。