夫が「胃が痛い・・・」と言って病院にようやく行ったのが2020年クリスマスイブ。
毎日のようにお酒を大量に飲んでいたので、胃潰瘍か、肝臓がやられているか、少なくともちょっとした病気が見つかって、医者から「お酒は控えましょう!」と言われる事を期待していた私。
それで改心して、お酒を控えて、せめて健康になってくれればいいなと思っていた。
夫が病院に行く事を決意したのは10kg近く痩せたから。
数週間、胃が痛くてあまりご飯を食べていなかったし、運動もしていたので不健康な痩せ方だとは全く思わず、胃が痛いと言いながら、朝起きれない事や、1日動かずだらだらしている事はよくあったので、安心していた。
1つ目の近くの内科で検診をして、すぐに別の大きな病院へ「すぐ」行けと言われ、近くの総合病院へ行くことに。
電話で聞いた時も、「やっぱりなんかあったか〜」程度。夫は先生の焦り方を見て、最悪の状況を考えていたみたいだけど、私は「ガン家系とかじゃないから大丈夫」という言葉をすっかり信じきっていた。
結果わかったら連絡してね〜と明るく切って、息子達を保育園へ迎えに行った。
・・・
もう暗くなったころ、夫からの電話。
「結構ヤバイ病気だったみたい。今から説明があるから、、来てほしい。」
本当の事を言うと不安だった。
夫がいなくなるかもしれない。
嫌がる子ども達をなんとか説得して病院へ行き、行った先では点滴に繋がれた夫。
待たされる30分が、どれだけ長かったか。。。。。。もう、この時点でほぼ100%癌告知されることが確定。夫も、すぐ治りますよ〜レベルではないことを確信。
後何年、生きられるのか。そういう話をしなければならなかった。
想像するだけでは全く決意ができない。
弱って行くかもしれない夫に
どう対処していいか。
真っ白になった肝臓や大腸のレントゲンを前に、先生が告げたのは大腸ガンのステージ4ということ。悪性でない可能性がないわけではないので、すぐに入院して細胞を切り取って検査して、すぐにでも抗がん剤治療を始めた方が良いとのこと。
とにかく、「一日も早く」だった。
夫が病院に行った時点で、大腸はがん細胞でほぼ塞がって粘膜から出血している状況だったのだ。
何か、不測の事態がいつ起こってもおかしくない、ギリギリだったようだ。
そもそも、結婚して夫の為に頑張って来た5年は
我慢と苦労と忍耐の結晶だった。
本当に、この人の最期を感謝の意をもって迎えられるのか?今死んで、私は悲しめるのか?
とさえ思った。
そうだ、今死んでもらっては困る。
勝手にガンなんかで死んでもらっては困る。
今ある事業を大きくし、将来もし死んだときに困らないだけの蓄えと、会社を引き継ぐ人材を育てた上で、私が愛した夫が素晴らしい人だったと思わせてくれないと、絶対ダメだ。
それは夫としてでなくても良い。
欠陥人間の夫にそこはもう求めないとして、とにかく人として大きな偉業をなしてもらう事。
そう思ったら、夫と一緒に戦おうと思えた。
今思っても、自己中心的な、エゴまみれ人間だ。
5年生存はほぼ無理、と言われた夫は、死と向き合って今も寝れない日々らしい。
おそらく、自分の周りの誰が大事で、どうしたら良いのか、考えるきっかけのなったはず。
もちろん、私も、夫について、どれだけ憎いと思っていたか、どれだけ愛しているか、しっかりわかった。
幸福なことに、考える時間を与えてもらえた。
その時間は、有限だが、伸ばすことが出来る。
それだけは、本当によかった。
実際、自分ががんばっている(つもり)ことのほとんどが、自分が後悔しないための準備だと思う。
私が、5年か10年か、もしくは20年かわからないけど、いつか来る夫の死に向けた準備。夫がガンになって、人間の命が有限だという事が間近にあることに気がついたので、特に、夫や自分の手の届く範囲の人は幸せにしたいと思うようになった。もちろん、自分のために。
先に私が死ぬ事だってある。
子どもが先に死ぬ事だって、ある。
絶対に、明日がちゃんと来るかはわからない。
私は、普通の人より少し「こころがつよい」ようなので、「クソガン患者の夫」歩み寄れるように、頑張りたい。
もともと、ガンがなくても「クソ夫」だから、ギリギリ私がついていけるように「ガン」がおまけされたようなもんだと、最近は思う。
「ガン」がなかったら、近い未来に離婚だった。「ガン」がみつかったから、お互いに話をして、直近の未来を二人で想像することが出来たから、キレそうだった糸がつながったような気がする。
ぶっちゃけ、がんの夫を捨てたと思われても嫌だし。
まぁ、治るまで付き合ってやるか、、、、、と。
あくまでもポジティブに生きる。
これからも、気持ちは上がり下がりするだろうけど、最善を尽くして毎日を過ごして行くことが、私なりのエゴイズムだった。ただ、同時に利他的なので、自己犠牲を心の何処かに持ってやっていくことになる。私がどんなに傷ついても、我慢することが前提だ。しかし、どちらにしても私の利益の方が優っている。
夫が1日でも長く、生きて、有益な仕事をすること。
これが、私にとっても、子供にとっても、夫本人にとっても一番良いのだ。
心から、夫を支えていこう!と思っている精神の裏では、後悔のない死がある。だから、弱気になった夫に、まだ死ぬなと言えた。
それでも、人間は簡単には変わらないし、
やっぱり最後の最後まで、もう動けなくなるまで、自分の本質に気付けないものだ。
夫は、もう寝返りさえ自分の意志で出来なくなって、ようやく気がついたようだった。「大事な人たちに、感謝を伝えたり、一緒にいる時間がもう残りわずか」だと言うことに。
その時から、夫は片時も私に離れて欲しくないと言った。
手を繋いでいてほしい。仕事なんてしなくていい。寝て、起きた時にママがいないのは嫌だと。子どもたちの事よりも、何よりも、一瞬でも多く、隣にいて話をしてほしい、しゃべれなかったとしても、意識が朦朧としていても、私が隣にいることが一番の安心で、一番の望みだと言った。
そして、死ぬまでの一ヶ月間、毎日「ありがとう、本当に大好きだ」と、「結婚してくれて、本当に感謝している」と、心を込めて一生分、伝えてくれた。
夫にとっては、毎日が「明日が来ないかもしれない」日々だったんだと思う。