2022.3.17 茨城県方面の神社を参拝。一言主神社、大生郷天満宮参拝後、つくば市の金村別雷(かなむらわけいかずち)神社へ。
小貝川 宗教団体・陽光子友乃会本部の巨大な金色の舟形の屋根が見えます。この川を渡りますが・・・
ひょえ~、なかなか狭い橋です。
境内入り口
神社は、頻繁に洪水をおこす暴れ川として知られる小貝川のほとりに鎮座しています。
一の鳥居
参道の巨樹の存在感がスゴイです。
ソメイヨシノの蕾、パンパンでした^^
二の鳥居
大きな灯篭です。
狛犬 なかなか睨まれている感があります。
拝殿
拝殿の装飾彫刻の龍が睨みを利かせていましたよ。
本殿
合社殿
静かなモノクロのような空気・空間でした。しかし、底堅い力強さも感じました。修験系のような・・・。
金村別雷神社(かなむらわけいかずちじんじゃ[1]、かなむらわけいかづちじんじゃ[2][3]、かなむらべつらいじんじゃ[4])は、茨城県つくば市にある神社。近代社格制度に基づく旧社格は、郷社[4]。茨城県水戸市の別雷皇太神、群馬県邑楽郡板倉町の雷電神社と並ぶ関東三雷神の1社とされる[5]。茨城百景の1つでもある[6]。
中世に鎮座地の周辺地域で勢力を有していた豊田氏[6]の初代領主である豊田将基が、京都の賀茂別雷神社から分霊を勧請して創建した[9]。承平元年(931年)のことである[4][6]。由緒として以下のような話が伝わっている[21]。
前九年の役で豊田将基が源義家に随伴して清原武衡の討伐に臨んだ際に、阿武隈川を渡れずに苦労した[21]。その時、後冷泉天皇から勅許された金色の龍旗から龍が飛び出し、橋のように川に横たわった[21]。将基らは一族を率いて龍の上を渡って敵陣に切り込み、武功を揚げて従五位下下総守副将軍の地位を得た[21]。そこで金色の龍旗を神体として神社を建立し、金の旗から別名「金村神社」と呼ばれるようになった[21]。
本殿 - こけら葺き、一間社流造(いちげんしゃながれづくり)で、棟札の年代から正徳4年(1714年)に建てられた[注 1]ものと考えられている[5]。彫刻を多用した豪華な装飾が施されている[5][6]。茨城県指定有形文化財(建造物)[19]。
金村別雷神社 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』最終更新 2020年11月30日 (月) 19:42
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