前々回、下記のように「日本の人口の推移」を観てきました。
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・縄文時代 前14000年頃 – 前10世紀
紀元前2300年頃、人口は26万人位だったが縄文晩期には8万人位に減少。原因は 気候変動=気温の低下>貴重な食糧のナッツ類が激減>食糧難>人口減少
・弥生時代 前4世紀 – 後3世紀中頃
朝鮮半島から持ち込まれた稲作技術が全国に拡大>食料供給量アップ>紀元前2300年~紀元前1000年までの約1000年間で、8万人までの人口は、およそ8倍の60万人まで伸びる。
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・一方、前回の投稿で観たように、およそ20万年前、アフリカで人類(ホモ・サピエンス)が発生。それまでに住んでいたネアンデルタール人、デニソワ人などの人類は3万年前に滅亡しました。
・さて、その後の人類(ホモ・サピエンス)の拡散の経路を観ると・・・
・この図は考古学的証拠と+DNAから観た世界に広がる人類の様子です。
・20万年前にアフリカで人類が生まれ、5~6万年前にアフリカを飛び出し一方は海岸沿いに一方はオーストラリア、東南アジアへ、もう一方は中国南東部と北東部から日本へ拡散路が伸びています。
・ということで、4万年前位に日本列島には南から、あるいは朝鮮半島を通り、あるいは北東アジアを経由して人類(ホモ・サピエンス)は到達したことになります。
・さらにハワイ、イースター島、ニュージーランドといった太平洋の島々には、今からおよそ1000年くらい前に到達(日本の平安~鎌倉時代)し、人類の世界拡散完了。
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・アフリカから出ていった初期拡散の人たちは「狩猟採集民」で食糧を自然に頼りながら世界に広がりました。
・そこから数万年かけて世界の居住可能な地域には人々が定住し始める。
・やがて1万年以降になると、農耕が始まって、人口を増やし周辺に広がる。
●ここから日本を中心に観ていきます。
・最初の初期拡散ですでに住んでいた狩猟採集民(縄文人)の社会に、どうやって農耕民(弥生人)が入っていったのか?
・人類が世界に展開した6~2万年前は氷河期の時代です。先に書いたとおりこの間に縄文人の人口は26万人→8万人に減少しています。
・2万年前に地球が一番寒くなって、氷河期により海面が低下している状態から、その後、急速に気温が上がって、縄文時代の5000年前くらいになるとすごく温かい時代になった。
・この氷河期による海面低下で、今よりも陸地が多くなった時代に、温かくなり始め、人類は拡散していった。
・こういう地形の時代に日本列島に初めて人が入ってきた。
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さらに日本列島を観ていきましょう。
4万年前に日本列島に人類(ホモ・サピエンス)が到達。
・4万年前~1.5万年前は旧石器時代、その後、縄文時代が12000年間、弥生時代が1000年間、その後に歴史時代が繋がっています。
・旧石器時代の人骨は、本州では浜北だけ、あとは沖縄からしか出ていません。
・縄文初期の古い縄文人骨もほとんどありません。
・今から5000年位前にの縄文人骨はたくさん出てきている。弥生時代もそれなりに出ている。
・人骨から知ることができるのは、主に縄文人と弥生人の関係。縄文人と弥生人の顔立ちは結構違っている。
・直感として納得されていると思うが、いわゆる本土日本と呼ばれる本州の人間と沖縄、北海道アイヌの人たちは少し姿形が違っています。北海道と沖縄の人たちは似ている・・・これは簡単に説明すると渡来人が日本列島に影響(農耕)を与えたとき、北海道へは明治になって、沖縄も10世紀過ぎと遅かったために縄文人の要素が多いからと考えます(私的解釈含む)。
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ふ~~~~、やっとここまできました。お読みいただいた方、お疲れ様です(笑)
もうちょっと続きますよ。一息ついてください^^
●現代日本人のゲノムDNA解析(14万か所・7000人対象)
・日本列島は、本州と沖縄が大きく分かれている。
・お酒の強さによる地域差>遺伝子で分かる>お酒に強い分解酵素遺伝子を2つ持つ人、強弱2つ持つ人、弱いのを2つ持つ人の3タイプがいる。
・地球全体で観ると、中国、朝鮮半島、日本列島のみ(主に中国南部に多い)にお酒に弱い人がいる。日本列島全体では、弱い人は中央地域、強い人は北方、南方地域。
・ここから縄文時代には日本列島全体に縄文人がいて、弥生時代になると、大陸から水田稲作農耕・金属器を持った人たちが北部九州地域に入ってきた事が解る(弥生人の方にお酒に弱い遺伝子がある)。
・5~10世紀に、北海道には「オホーツク文化人」が入ってくるが10世紀以降、忽然と姿を消している>>>>今後、私的に調べてみようと思います。
・日本列島の農耕・・・北海道へは明治になってから。沖縄も10世紀過ぎ。
・日本にしかほとんどないDNAが2つ(M7a、N9b)ある。
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「ミトコンドリアDNAハプログループ(DNA配列の集合)比較」から読み取れる事は
・D4が多いが、日本人の起源は相当複雑だと解る>多様性が非常に高い集団
・D4は、本土の日本人の1/3、沖縄、朝鮮半島、中国北東部が同じような比率。
・D4は、東南アジアにはほとんどない。
・赤い部分のM7aは、ほとんど日本にしかなく、沖縄に非常に多い。中国ではゼロ。
・台湾と沖縄では地域的には近いがハプログループがずいぶん違う。
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先に書きましたが、
・2万年前に地球が一番寒くなって、氷河期により海面が低下している状態から、その後、急速に気温が上がって、縄文時代の5000年前くらいになるとすごく温かい時代になった。
・中国の5000年前>>長江の中流域で組織的稲作が始まっている。ここで人口が増えて、周辺に住んでいた人を巻き込んで、最終的に2000年間位遅れて日本列島に稲作がもたらされたかもしれない。
・これはベトナムでも同じで、揚子江中流域で組織的稲作>人口増加>ベトナムへ。
・以上から長江の中流域で始めた稲作農耕は、東アジア全体の遺伝的構成も、文化も生活も多くの影響を与えたと推測される。
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・沖縄と北海道は同じ集団にならなければならないが、ミトコンドリアDNAは似ていない。
・アイヌにしかないタイプがある>沿海州とカムチャッカ半島の先住民。アイヌ人の遺伝子のかなりの部分は、北方大陸のグループと共通している。
●北海道に関して
・北海道文化編年を観ると・・・
縄文時代>続縄文時代>オホーツク文化・擦文時代>アイヌ時代、と本土の時代区分とは大きく違う。弥生時代は無い。稲作が北海道で始まったのは明治以降。
・江戸時代のアイヌ人のDNAにはN9bとYが非常に多い。ところが縄文ではYが出てこない。オホーツク文化人にはYがたくさんいる。ということは・・・
・北方からの集団の影響を受け、近世のアイヌ集団として成立し、やがて現代に繋がっていく地域変遷が見えてくる。北海道は北海道内でDNAの歴史が説明がつく。
・ただ、これはあくまでDNAレベルのカラダの構造であって、「民族」とか「文化圏」とかの方向からみると、当然一括りにできない。別のグループと婚姻を結んだりすればどんどん変化する。
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●沖縄に関して
・先島と本島、奄美の辺りは琉球列島弧と認識されているが、先島と沖縄本島の間には慶良間ギャップと呼ばれる島のない海域がある。先史時代では、この二つの地域は別の文化圏に属する。
・なので、先島と本島に違う文化があって11世紀位にグスク(城)を作り出すと両者は一体化して近世琉球につづく。農耕が入るのはこのグスクの時代>人口増加。
・沖縄の亜熱帯の土壌はDNAの保存に不適当で分析が難しい。
・現時点の結果としては、D4が多くM7aも多い。これが農耕が始まる直前に既に揃っていることが判っている。
・沖縄本島にはもともとM7aとう日本の基層集団、縄文人が必ず持っているタイプが存在していて、そこに弥生時代以降、D4aを主体とする人たちが少しずつ入ってきて、やがてその農耕が臨界点に達し、グスクが始まると考えられる。
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・日本列島には最初に人類が入ってきた時・・・を考えると、北からも南からも人類が入って来ている。南方から、北方から、朝鮮半島から・・・のスタート点はすくなくとも3つのルートがある。
・よって、日本列島を語るとき、少なくともこの3ルートの地域を分けてそれぞれの物語を語らないといけない。
・5000年前よりも古い骨が基本的にはない>>>これは日本列島4万年の歴史を1年間に直すと、大体11月15日になる。いかに人類が発生してからの事柄が直近の事しか分かっていないかが解る。日本列島にはそれぞれに異なる歴史を持った3つの集団が一緒になって住んでいて、それが一つの国を作っている。
・この日本列島を観ると、大陸側から入ってきたら逃げ場がない。ここに来たら、みんな仲良くするしかない。それが、日本独自の文化を生み出したのかもしれない。
篠田 謙一さんの講演を集約・抜粋させて頂きました。
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以上で、「神社」の基本知識をご紹介のシリーズは終了します。なんだか、飛んでもない方向へ行って終わりますがご容赦くださいませ。。。。
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PS:
神社区分けに関して解りやすい資料があったので貼っておきます 2020.1.3
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