第2代綏靖天皇から第9代開化天皇までの8代天皇は、欠史八代と云われ、「古事記」や「日本書紀」にその系譜が記されている初期の天皇の系譜は、その多くが後世の創作によるものと見られ、欠史八代の天皇が実在した可能性は学術的にはほぼ無いとされているそうです。
その中で、7代の孝霊(こうれい)天皇には鬼退治伝説があります。鳥取県伯耆町溝口には孝霊天皇にまつわる日本最古の鬼退治の伝説があり、孝霊天皇の皇子、吉備津彦命(キビツヒコ)には桃太郎のモチーフになったと云われる鬼退治伝説があります。
「鬼」には様々な解釈がありますが、その一つに「鬼」は「金工師」とする説があります(金工師とは鉱山採掘や金属精錬、金属製品生産など、金属に関する事業に携わっていた人達)。日本各地の鬼伝説地が同時に鉱山地でもある場合が多数あるそうです。
孝霊天皇の鬼退治が伝わる楽楽福神社(ささふくじんじゃ)の“ささふく”という名前の由来は、“砂”即ち砂鉄をたたら吹きで製鉄することを意味するとされます。つまり、古来より中国山地一帯で盛んにおこなわれていた製鉄を神聖視して祀った神社であるとされます。
また、製鉄に使う砂鉄の所有をめぐって、吉備氏(孝霊天皇)と出雲氏(大牛蟹)が争い、それが鬼退治伝説となったとも考えられています。
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7代・孝霊(こうれい)天皇 の物語です。
この部分が、「まほろばチャンネル 孝霊天皇の鬼退治」youtubeで観られます。
また、「まほろばチャンネル 吉備津彦命 訂正版」youtubeも観られます。
(日本書紀では別の時代。岡山県にある神社の話もすこしずつ違っていたり、ということで多少アレンジして物語にしたそうです。)
孝霊天皇(こうれいてんのう、正字体:孝靈天皇、孝安天皇51年 - 孝霊天皇76年2月8日)は、日本の第7代天皇(在位:孝霊天皇元年1月12日 - 孝霊天皇76年2月8日)。『日本書紀』での名は大日本根子彦太瓊天皇。欠史八代の一人で、実在性については諸説ある。
日本足彦国押人天皇(孝安天皇)の皇子。母は皇后で天足彦国押人命の娘の押媛(忍鹿比売)。兄弟として『古事記』では同母兄に大吉備諸進命の名が見える。26才で皇太子となる。父帝が崩御した年の12月、黒田廬戸宮(くろだのいおどのみや)に都を移す。それまでの山裾にあった宮と異なり大和盆地の中央に位置する。翌年の1月に即位。即位2年、磯城県主(または十市県主)大目の娘の細媛命を皇后とし、彦国牽尊(後の孝元天皇)を得た。また春日千乳早山香媛、倭国香媛らを妃にしている。倭国香媛との間には御間城天皇(崇神天皇)の時代に四道将軍となった彦五十狭芹彦命、疫病や反乱を収めるのに重要な役割を果たした倭迹迹日百襲姫命を得た。即位76年、崩御。
鬼住山の鬼
鳥取県伯耆町溝口には孝霊天皇にまつわる日本最古の鬼退治の伝説がある。楽楽福神社(ささふくじんじゃ)の由緒縁起によると昔、近くの鬼住山(きずみやま)を根城にして暴れ回っていた鬼の集団があった。この地を訪れた孝霊天皇は南の笹苞山(さすとやま)に陣を張った。まず笹巻きの団子を三つ置いて鬼の兄弟の弟・乙牛蟹をおびき出し矢で射殺した。次に笹の葉を刈り取って山積みして風で飛ばし、兄の大牛蟹たちの体にまとわりつかせたうえで火を放った。大牛蟹は蟹のように這いつくばって命乞いをした。大いに喜んだ里人たちは笹の葉で屋根を葺いた神社を作り、これが楽楽福神社の始まりと言うことである。天皇はこの地に崩御するまで留まったともいう。
孝霊天皇 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』最終更新 2021年10月14日 (木) 13:24
吉備津彦命(きびつひこのみこと)は、記紀等に伝わる古代日本の皇族。
第7代孝霊天皇皇子である。四道将軍の1人で、西道に派遣されたという。第7代孝霊天皇と、妃の倭国香媛(やまとのくにかひめ、絚某姉<はえいろね>/意富夜麻登玖邇阿礼比売命<おほやまとくにあれひめのみこと>)との間に生まれた皇子である。
伝承・信仰
上述の吉備津神社(岡山県岡山市、備中国一宮)の縁起として、吉備津彦命が吉備平定にあたって温羅(うら・うんら・おんら)という鬼を討ったという伝承が岡山県を中心として広く知られる。これによると、温羅は鬼ノ城に住んで地域を荒らしたが、吉備津彦命は犬飼健(いぬかいたける)・楽々森彦(ささもりひこ)・留玉臣(とめたまおみ)という3人の家来とともに討ち、その祟りを鎮めるために温羅の首を吉備津神社の釜の下に封じたという。この伝説は物語「桃太郎」のモチーフになったともいわれる。吉備地域には伝説の関係地が多く伝わっているほか、伝説に関連する吉備津神社の鳴釜神事は上田秋成の『雨月物語』中の「吉備津の釜」においても記されている(詳細は「温羅」を参照)。
この伝承では、温羅は討伐される側の人物として記述される。しかし、吉備は「真金(まかね)吹く吉備」という言葉にも見えるように古くから鉄の産地として知られることから[10]、温羅は製鉄技術をもたらして吉備を繁栄させた渡来人であるとする見方や[11]、鉄文化を象徴する人物とする見方もある[12]。また、吉備津神社の本来の祭神を温羅と見る説もあり、その中でヤマト王権に吉備が服属する以前の同社には吉備の祖神、すなわち温羅が祀られていたとし、服属により祭神がヤマト王権系の吉備津彦命に入れ替わったという説もある[13]。
全国の吉備津彦命を祀る代表的な神社は次の通り。
吉備津神社(岡山県岡山市) - 備中国一宮。吉備津彦信仰の総本社。
吉備津彦神社(岡山県岡山市) - 備前国一宮。
吉備津神社(広島県福山市) - 備後国一宮。
田村神社(香川県高松市) - 讃岐国一宮。
吉備津神社 - 岡山県周辺に分布。
御崎神社(みさきじんじゃ/おんざきじんじゃ) - 岡山県周辺に分布。
艮御崎神社(うしとらみさきじんじゃ/うしとらおんざきじんじゃ) - 岡山県周辺に分布。なお、吉備津彦の三人の家来については別説に「犬養縣主(犬)」「猿女君(猿)」「鳥飼臣(雉)」という豪族だという説もある。犬養縣主ゆかりの神社が岡山県笠岡市の「縣主神社」、猿女君ゆかりの神社は岡山市北区の「鼓神社」(二宮鼓神社)、鳥飼臣ゆかりの神社は岡山県都窪郡早島町の「鶴崎神社」がある。[要出典]
吉備津彦命 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』最終更新 2021年10月6日 (水) 01:45
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