拝島日吉神社へ詣でました。
奥多摩街道に面しています。境内へ入るには小さな水路をを渡るようです。
境内入り口
並行して右側に大日堂へ向かう参道もあります。
う~む・・・・左の木がちょっと怖いような・・・
拝殿
立派な拝殿です。
本殿 華やかな色合いですね。
本社殿は安政二年(1855年)、当時の拝島村大工伊東紋蔵・臼井久米次郎を棟梁として、再建されたものである。昭和五五年に発見された棟札によると、本殿彫刻は同村の彫師矢部建次郎良長が彫り、拝殿格天井花鳥画および板壁絵・幣殿杉戸絵は、上州(群馬県)館林藩の絵師坪山洞山が描いたものとされる。
いずれも近郷には類をみない傑作として、古くから著名である。(昭島市教育委員会掲示より)
大日堂境域及び日吉神社境域
大日堂の創建は、寺伝などによると天暦六年(952)と伝えられている。その後、戦国期、滝山城の築城に際し城の鬼門除けとして現在地に移され、天正年間(一五七三~一五九一)には滝山城主北条氏照の重臣石川土佐守が娘の眼病を祈願し平癒により堂宇を再建。この時に「大日八坊」といわれた一山八ヶ寺が建立されたと言う。
天正一九年(一五九一)には徳川氏より朱印地一〇石を下賜され、享保一七年(一七三二)には大日堂の位置を石段上の現在地に移し建物を再興している。
一方、日吉神社の創建は不明であるが、天正年間の大日堂再興の折りにその守護社として建立されたと言われ、寛保元年(一七四一)に「山王大権現」の称号を許されている。江戸時代は大日堂の管轄下にあったが、明治以後、神仏分離により独立し、社号も日吉神社と改めている。
当該地は古刹として著名な大日堂と天台宗の守護社である日吉神社によって形成された境域で、歴史的建造物を中心に旧態をよく留め、典型的な天台宗一規一画の寺域を構成する都内でも数少ない場所の一つである。東京都教育委員会
日吉神社と並行する大日堂への参道入口
大日堂仁王門
左の藤棚は推定樹齢800年
大日堂
おねいの井戸
この日は何となく体調が悪く、なんと、日吉神社と大日堂の間の湧水の池まで目に入らない有様でした。
お隣に拝島大師もあり、見どころも満載なのですが、拝島公園で遊んでいる子どもたちの会話の内容だったり、拝島大師周辺の沢山の「日吉神社の駐車場ではございません」の看板や、オスプレイが上空を飛行していたり・・・どうも二元性がざわついて心穏やかな地場との向き合い方ができなかったようです。
まあ、たまにはこういう事もありますし、磁場との不調和ということもありますね。
++++++++++archives++++++++++
★「神社参拝リスト」
参拝した神社の投稿まとめです。
+++++シリーズ投稿の分類一覧 by matol+++++
・「シリーズ投稿の分類」一覧まとめ
・「HUAWEI P30 Pro」スマホHUAWEI P30 Proで撮った投稿まとめ
・「神社参拝リスト」参拝した神社の投稿まとめ
・「還暦過ぎのオヤジのつぶやき」日々のつぶやきのまとめ
・「ウミウシ」いままで出逢ったウミウシの紹介投稿まとめ
・「鳥(トリ)」 いままで出逢った鳥(トリ)の紹介投稿まとめ
・「植物探訪」いままで出逢った「植物」の紹介投稿まとめ
・「古物たちのお勉強」の紹介投稿まとめ
・「旅行記」今まで行った旅行記のまとめ
・「古物商に関するあれこれ」~まとめです
・「神社の基本知識をご紹介」「神社」に関して掘り下げて投稿
・[ネコの住むビトにゃん村] x[ALiS経済圏]/私的構想 私的な構想の妄想まとめ