吉見百穴を見学後、周辺を少し歩いてみました。
駐車場のすぐ近くに・・・・
石仏
石仏
岩室観音
ん?絵が描いてあるのか・・・?拡大してみます。
大願成就 奉納
名前と馬の絵が描かれています。要するに「絵馬」ですね。
天井部 なんかスゴイです。
ハート型の胎内くぐり どれどれ行ってみましょう。
お~、確かにハート型ですね^^
裏の山は山城の「松山城」です。
今回は山城の中はパスしました。
當選寺 単立寺院ですが、大永6年(1526年)建立と古いです。
「お参りは自由です」とあったので境内を散策。
尊神堂
ヘビのような模様の大石が白蛇として祀られていました。
ぴんころ観音
よ~くお参りしてきました^^
写真は無いのですが、直ぐ近くに「岩窟売店」がありました。ちょっと怪しそうな感じがしたので立ち寄らなかったのですが、帰って調べたら・・・
このホテルを作ったお孫さんの売店だったようです。朽ちた岩窟ホテルも見たのですが、なんだこりゃ?穴をくり抜いた倉庫か?くらいにしか思わずに撮らなかったんですよねー。売店に立ち寄っても良かったなあ。なかなか興味深いです。
岩窟ホテル(がんくつホテル)とは、埼玉県比企郡吉見町にある切り立った崖に掘られた人工の洞窟である[1][2]。正式名称は「巌窟ホテル・高壮館」。かつては、近隣の吉見百穴とともに観光名所になっていたが、現在は閉鎖されている[1][2]。
明治時代後期から大正時代にかけて、農夫・高橋峰吉の手によって掘られたもので、「岩窟掘ってる」が訛って「岩窟ホテル」と呼ばれるようになった[1][2][3]。そのため、もともとホテルとして建設されたわけではないが、新聞報道ではホテルとして建設中であると報じられていた[2]。
峰吉は岩窟ホテルを建設する理由について「何等功利上の目的はなく、唯純粋な芸術的な創造慾の満足と、建築の最も合理的にして完全なる範を永く後世の人士に垂れんが為」と述べている[1]。岩窟ホテルは、農民による新たな住居スペースの提案であり、アウトサイダー・アートでもあった。
巌窟ホテル出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』最終更新 2020年11月18日 (水) 08:16
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