梅雨明け、猛暑前に参ってきました。
まず、「築土神社」。
この先の左側です。
う~む・・・凄い境内入り口だな。ビルの上階は境内には入らないのかな(笑)
チカラ強い印象です。
拝殿
この神社の創建時の祭神は、「平将門」です。う~む・・・それでなにかチカラ強く感じたのかな・・・。日本武道館の氏神様というのも頷けます。
築土神社(つくどじんじゃ)は、東京都千代田区九段にある神社である。通称、築土明神。
創建時の祭神・平将門に因み、武勇長久の神社として親しまれ、千代田区北の丸公園にある日本武道館の氏神でもある。
天慶3年[2](940年)6月、江戸の津久戸村(上平川村[3]、現:千代田区大手町一丁目将門塚付近)に平将門の首を祀り、塚を築いたことから「津久戸明神」として[2]創建されたという。
室町時代[注釈 2]に太田道灌により田安郷(現:千代田区九段坂上)へ移転させられて以降は「田安明神」とも呼ばれ[3]、日枝神社、神田明神とともに江戸三社の一つにも数えられることもあった(江戸三社のうち、日枝神社、神田明神以外は固定していない)。
現在は天津彦火邇々杵尊(あまつひこほのににぎのみこと)を主祭神とし、平将門、菅原道真を配祀する。
江戸時代の文献によると、当社内には平将門の首(頭蓋骨や髪の毛)そのものが安置されていたといわれ、数ある将門ゆかりの社寺の中で、将門信仰の象徴的神社となっていた。
戦災で当社が焼失するまで、将門の首を納めたという首桶[注釈 1]、将門の肖像画(束帯姿)、木造の束帯坐像等が社宝として伝わっていた。
300年以上の間、筑土八幡神社と並んで鎮座していたが、1945年の東京大空襲によって全焼し、1954年、現在の九段中坂の途中にある世継稲荷境内地へ移転した。
拝殿の横から撮っています。 ちょっとどうなっているのか良く解りません。
築土神社拝殿脇から入る世継稲荷神社。
世継稲荷神社拝殿
嘉吉元年(1441)頃、飯田町に創建された稲荷神社である。当時はこの辺一帯を田安村といったことから、「田安稲荷」と称されていた。二代将軍秀忠が社に参内し「代々世を継ぎ栄える宮」と称賛し、これ以降「世継稲荷」と称されるようになったと伝えられている。
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続いて、近くの「東京大神宮」へ。
境内入り口。さすがに平日でも参っている人が多いです。
拝殿
境内
東京大神宮(とうきょうだいじんぐう)は、東京都千代田区富士見二丁目にある神社[1][2]。天照皇大神・豊受大神を主祭神とする[3]。
1880年(明治13年)4月17日、有楽町の大隈重信邸跡に落成した皇大神宮遙拝殿が起源であり[2]、一般には「日比谷大神宮」もしくは「日比谷皇大神宮」と称された[4]。
明治政府の宗教政策転換により神宮司庁と神宮教院が分離すると、後者に属していた本神社は、大神宮祠、神宮奉斎会本院と幾度か改名した[2][5]。
1900年(明治33年)5月10日、明治天皇皇太子(のちの大正天皇)の結婚式が宮中三殿で行われる[6]。これを記念に神前式結婚式を創始、現在に伝わる神前結婚式となった[5][7]。
1923年(大正12年)9月1日の関東大震災で被災し、1928年(昭和3年)に現在地に移転して飯田橋大神宮と呼ばれた[5]。
太平洋戦争終結後の1946年(昭和21年)1月、宗教法人東京大神宮に改称し、現在に至る[1]。
東京大神宮 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』最終更新 2020年9月21日 (月) 13:11
境内社の飯富稲荷神社
東京大神宮は、神前結婚式のルーツなんですねー。神前結婚式は、もっと古い歴史があるのかと思っていました。
「ドライミスト」が噴霧され涼しげでしたが、効果は・・・??(笑)
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