2017.8.26~27 京都・神戸へ行きました。
06:20 広島行きのぞみ 自由席はガラガラ。
08:38 八条西口コインロッカーへ。
09:10 JR奈良 東福寺へ。アジア人、欧米人・・・外国人だらけだ。日本人が居ない(・_・;まるで海外に来たみたい。
運動系小学生のグループは日本の子。東福寺で京阪本線に乗り換え。外国人はほとんど居ない。旅行者もパラパラ。
清水…祇園…などオサレな名前の駅が多い。地元っぽい方は、なんとなく品が良さそうに見えるのは気のせいか?(笑)
出口柳駅から叡山鉄道で鞍馬へ。ほぼ日本人の観光客かな。二両編成。なんか世田谷線みたいだな。うわー晴れてきた。暑くなりそーだー。
鞍馬駅
鞍馬駅内部
お~、でっかい天狗さま^^
鞍馬駅から鞍馬山を歩き、貴船神社方面へ降り、貴船口駅から戻るコースにしました。今思うと、早い時間帯に貴船神社へ行き、鞍馬山を登る逆のコースの方が良かったですね。逆コースだと、ちょっと山道がキツイですが、貴船の喧騒を避けられます。
そもそも、なんで鞍馬山へ行くことになったのか?天狗に逢いたかったからです。なんちゃって(笑
今から18年前にレイキを学んだ事があるのですが、このレイキの創始者の臼井 甕男が啓示を受け取ったのが鞍馬山でした。
また、牛若丸が鞍馬山の由岐神社の上手にあった東光坊で昼間は仏道修行、夜は僧正ガ谷で天狗に兵法を授けられたという伝説が、あったり、更に歴史を遡れば、早良親王の怨霊から都を守るための結界(風水)の一つであると云われているそうです(貴船神社奥宮~鞍馬寺の本尊である魔王が祀られている奥の院~鞍馬寺と、早良親王の怨霊をお祭りする崇導神社は一直線に並んでいる)。
臼井 甕男(うすい みかお、1865年8月15日 - 1926年3月9日)
現在レイキとして世界中に広まっている手当て療法を中心とした民間療法の一種「臼井靈氣療法」(臼井霊気療法)の創始者である。「人生の目的とは何か」という大命題の探求から、禅の道に入り、真の悟りともいえる安心立命の境地を目指し修行するも、どうしても悟りを得られず、悩みぬいた末に禅の師に相談したところ、「それなら一度死んでごらん」と答えられ、「自分の人生も、もはやこれまで」という覚悟を決め、1922年春に京都の鞍馬山にこもって断食を始める。修行のための断食と言うよりは、死を覚悟してのものだったらしい。
断食に入り3週間目の真夜中ごろ、脳の中心部あたりに落雷をうけたような激烈な衝撃を感じ、そのまま意識不明の状態に陥る。数時間後、ふと気がつくと夜が明け始めた頃で、心身爽快な気分に満ちて目覚め、その衝撃のときに感じたエネルギーが心身を
貫き、体内との共鳴、一体感を達成し、求めていた悟りの境地を完成したことを知る。悟りが得られたことに喜び勇んで山を降りる途中、石につまづき足の指の爪がはがれ、思わず手を当てたところ痛みが去り、血が止まり即座に治癒してしまったという。そして、山のふもとまで降りてくると、小さな食堂があり、主人が止めるのも聞かず腹いっぱい食べた。主人の孫娘が顔が腫れるほどのひどい虫歯で、頬に手を当てるとたちどころに痛みが引いた。さらに、家族にも試したところ即効的な効果があり、「広く世の中の人にこの力の恩恵を与えたい」との思いから、工夫研究の結果、この能力を他人に伝授し、心身改善に活用する方法を見出す。これが臼井霊気療法という手当て療法の始まりとされる。
1922年4月に指導法などを定めた上で臼井霊気療法学会を設立する。現在世界中に広まっているレイキは、臼井が養成した21または20人の師範(レイキを他人に伝授できる資格者)の一人林忠次郎がハワイ在住の日系人高田ハワヨに伝授したものが広まったもの。
レイキやセラピューティック・タッチのような手当て療法・エネルギー療法は、全く効果がなかったとしても、患者の身体への物理的な働きかけはほぼないため、副作用は考えにくい。ただし、必要な医療の提供がそれによって遅れたり、遠ざけられたりする危険性がある[46]。
臼井甕男 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』最終更新 2019年10月14日 (月) 03:50
レイキ 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』最終更新 2019年9月24日 (火) 01:14
そんなわけで、一度、鞍馬山へ行ってみたかったわけです。ただ、早良親王の怨霊から都を守るため・・・というのが、ちと怖いなあとは思いましたが、とりあえずやってきた次第です。
鞍馬駅のすぐ近く。川の流れがいい感じ。涼しいでしたよ。ちょっとここで休憩。
門前の風景です。
鞍馬街道より 左側は、歓喜院・修養道場。
仁王門(山門)
明治44年の再建。左側の扉は、 寿永の頃(1182~4)のもの。 両側に立つ仁王尊像は運慶の嫡男、 湛慶作と伝承。浄域への結界。
『鞍馬蓋寺縁起』によれば、奈良時代末期の宝亀元年(770) 奈良・唐招提寺の鑑真和上(688~763年)の高弟・鑑禎上人は、正月4日寅の夜の夢告と白馬の導きで鞍馬山に登山、鬼女に襲われたところを毘沙門天に助けられ、毘沙門天を祀る草庵を結びました。
桓武天皇が長岡京から平安京に遷都してから2年後の延暦15年 (796) 造東寺長官、藤原伊勢人が観世音を奉安する一宇の建立を念願し、夢告と白馬の援けを得て登った鞍馬山には、鑑禎上人の草庵があって毘沙門天が安置されていました。そこで、「毘沙門天も観世音も根本は一体のものである」という夢告が再びあったので、
伽藍をととのえ、毘沙門天を奉安、 後に千手観音を造像して併せ祀りました。千二百余年前、鞍馬寺を開創した鑑禎上人は律宗に属し、藤原伊勢人は、鎮護国家の毘沙門天と慈悲の観音を一体として併せて祀りました。中興の祖、峯延上人は真言宗の十禅師とも言われています。後に天台宗の影響が強まり、天台法華・天台密教・
天台浄土が取り入れられました。鞍馬山には、神代以前からの古神道や陰陽道、修験道等の山岳宗教の要素も含まれています。宗派に捉われない懐の深さは鞍馬寺の宗教伝統となっています。
昭和22年、初代管長信樂香雲は、このような多様な信仰の歴史を統一して鞍馬弘教と名付け、昭和24年、鞍馬寺は鞍馬弘教の総本山となりました。
童形六体地蔵尊
ケーブル普明殿(山門駅)
ケーブルに乗ると由岐神社に寄れないとの事なので歩いて登ります。
「由岐神社」は次回、投稿します。
九十九折参道
ケーブルを使わず、ケーブル山門駅の横の九十九折の参道を登ります。この道は、平安時代、清少納言が「遠きて近きもの、くらまのつづらをりといふ道」 と綴ったことで有名です。
放生池 近くに大きな桂の木がありましたよ。
吉鞍稲荷社
魔王の滝
鬼一法眼社
『義経記』で義経は、兵法の大家、鬼一法眼から兵法書 『六韜』 を盗み、学んだとされています。
放生池~吉鞍稲荷社~魔王の滝~鬼一法眼社は、九十九折参道の現代色付け風ではありましたが、実に良い空気が流れていましたよ。静かで人も少なくてホントに良かったです^^
鞍馬山の九十九折参道を更に登ると由岐神社が見えてきました。
由岐神社については次回に投稿します。
由岐神社から鞍馬寺へと更に登っていきます。
この辺り一帯を双福苑と呼び、天に聳える杉を「玉杉大黒天」と尊崇し、傍らには、福徳の神である「玉杉大黒天」「玉杉恵比寿尊」の祠があります。
階段を上り終えると・・・
鞍馬寺・本殿金堂
宇宙の大霊、尊天のお働きを象徴する千手観音菩薩・毘沙門天王・護法魔王尊(脇侍、役行者・遮那王尊)を奉安する中心道場。
御本尊は秘仏で、60年に一度、丙寅の年に開扉されます。本殿の地下は、宝殿で信徒の清浄髪が厳かに祀られています。
狛犬ならぬ「阿吽」の虎は、本尊毘沙門天のお使いである神獣。毘沙門天の出現が、寅の月、寅の日、寅の刻とされていることによります。五十音が「あ」から始まり、「ん」で終わることから「阿吽」は、宇宙の全てを包含すると言われています。
本殿金堂前の金剛床は、宇宙のエネルギーである尊天の波動が果てしなく広がる星曼荼羅を模し、内奥に宇宙の力を蔵する人間が宇宙そのものである尊天と一体化する修行の場となっています。http://www.kuramadera.or.jp より。
鞍馬寺(本殿金堂)の真正面にある金剛床の『六芒星』。いわゆるパワースポットで、この中心に立つと、“宇宙生命のエネルギー”を受け取ることができるとされています。老若男女、この中心に立ち、山の方に向いて両手を上げてパワーを受け取るように願われていました。
先に投稿した鞍馬寺が「早良親王の怨霊から都を守るための結界(風水)の一部」(貴船神社奥宮~鞍馬寺の本尊である魔王が祀られている奥の院~鞍馬寺と、早良親王の怨霊をお祭りする崇導神社は一直線に並んでいる)であるならば、少し複雑な思い
でありましたが、「すべての人々が導かれますように」と願ってきました。
本殿金堂より
光明心殿 護法魔王尊を奉安。
更に「奥の院参道」へ。
霊宝殿(鞍馬山博物館)へも寄ってきました。1階は、自然科学博物苑展示室。2階は、寺宝展観室と與謝野寛・晶子の記念室。3階は、仏像奉安室。鞍馬寺では、霊宝殿(鞍馬山博物館)だけでなく、鞍馬山全体を自然ミュージアムと、捉えています。
だんだん「木の根」がすごいことになってきました。
根が地表面でアラベスク模様を描くのは、この辺り一帯の砂岩が、灼熱のマグマの貫入によって硬化したために根が地下に伸びることが出来なかったため。 牛若(鞍馬天狗)も「木の根道」で兵法修行をしたと伝えられています。
「下に這う鞍馬の山の木の根見よ 耐えたるものはかくのごときぞ」 與謝野寛(鉄幹)
鞍馬山の地層は、約2億5、6千年前(古代ペルム紀)の輝緑凝灰岩や石灰岩やプレートの上の噴出物やサンゴ礁がその前身で、そこに約7千万年前(白亜紀)にマグマが貫入して、庭石として珍重される鞍馬石や本鞍馬などの火成岩が生まれました。
鞍馬山の岩盤が固く、地下に根を張れない木の根が地表を這う木の根道や、人手が加わっていない自然林が安定した形になる極相林などの独特の景観が見られます。
また、このような複雑な地質に裏日本の気候と表日本の気候が入り混じって千種近くの植物が茂っています。http://www.kuramadera.or.jp/ より。
大杉権現社
この辺りは、大杉苑瞑想道場と呼ばれ、護法魔王尊のエネルギーの高い場所として知られています。
来る前に、この瞑想場の情報は入手していましたので、ここで軽い昼食をとり一休み。ツクツクボウシの轟音の中で少し瞑想してきました。なぜか、一休みの間、誰も来ることがなく十分に満喫できましたよ。
大杉権現社からは下りになります。静かな下りを歩いていくと、しばらくして奥の院参道に合流。だいぶ人が多くなっていて驚きました。
不動堂
ここには、伝教大師、最澄が天台宗立教の悲願に燃え、一刀三礼を尽くし刻んだ不動明王が奉安されています。
魔王殿
太古、護法魔王尊が降臨した磐坐・磐境として崇拝さ れてきました。
「木太刀もて岩を斬りたる遮那王の やという声に似る歌無きか」與謝野寛(鉄幹)
「太刀跡の岩 義経が裂きたるや 杜鵑の声が紋を残すや」與謝野晶子
サナト・クマーラ
ヒンドゥー教の神話・説話に登場する賢人にして、ブラフマーの精神から生まれた四人のクマーラ(チャトゥルサナ)の一人。
近代神智学では、1850万年前に金星から、地球のロゴス(地球の創造主、神)の、物質界における代理人としてやってきた霊的指導者マハトマであるとされる。日本語では「サナト・クマラ」「サナート・クマラ」とも表記され、ニューエイジの文脈やファンタジーにおいて護法魔王尊と同一視されることが多い。
京都鞍馬山の鞍馬寺はもともと毘沙門天を祀っていたが、現在は毘沙門天・千手観世音・護法魔王尊の三尊が一つになった尊天をまつる、新宗教・鞍馬弘教の総本山となっている。
鞍馬はクマラの転化とされる。立教後の説明では、護法魔王尊が650万年前に金星からやってきたとされるなど、近代神智学の教義の影響がみられる。サナト・クマーラ 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』最終更新 2019年10月11日 (金) 10:33
魔王殿からは、貴船まで階段状の下りが続いていました。倒れている大木が少し異様な光景。
鞍馬山の古名を暗部山とする説がそうです。暗い場所を意味する「暗部(闇部)(読み、くらぶ)」の読みが鞍馬に転じたとする説。鬱蒼とした山の中・・・京から見れば「暗い山」だったのかもしれませんね。
鞍馬山の静寂から、長い下り階段を何も考えずに降りていき小さな橋を渡る・・・・いきなり、都会の喧騒のような場所に降り立ちました。まるで、天界から地上界に落とされたような(笑 いや~ほぼ情報を入れて無かったので度肝を抜かれましたよ(笑
ちょうどお昼時に貴船に参上!!!
川床料理10000円くらい? 流しそうめん~2時間半待ちだそうで・・・・・^^;;
貴船神社は、次々回に投稿します。