鬼子母神を参拝後、すぐ近くの大鳥神社へ参りました。
都電の線路に並走した道路脇に鎮座しています。
「尻上がり狛犬」・・・カッコいい狛犬だなあ。。
拝殿 右の狛犬さんの足元にはなぜか蛙さんが・・。
社殿右手の奥に三杉稲荷神社が鎮座していました。
ん???
拝殿 ひょえ~、巨大な巾着袋のお賽銭箱です。いっぱい入りそうですね~。
1712年(正徳2年)に創建された。出雲国松江藩藩主松平宣維の嫡男が疱瘡に罹り、当地近くにあった松江藩下屋敷で療養中、鷺大明神が飛来し、嫡男の命を救ったという[1]。
元々は雑司ヶ谷鬼子母神がある法明寺の境内にあったが、明治時代の神仏分離政策により、「大鳥神社」として独立し、現在地に移転した[2]。
大鳥神社 (豊島区) 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』最終更新 2020年7月17日 (金) 01:08
雑司ヶ谷ナス・・・知らなかったなあ。。。食べてみたいですねー。
手水舎のそばに祀られている西宮神社(御祭神:蛭児命)。
雑司が谷七福神の創設に伴い、兵庫県・攝津西宮神社より御分霊を勧請、恵比須神を奉斎するに至った。
境内から都電が見れますよ。
ところで、大鳥神社は、都内に幾つかあり、新宿、目黒など酉の市で有名ですが、ちょっと調べました。
大鳥大社
大鳥大社(おおとりたいしゃ、正式名:大鳥神社)は、大阪府堺市西区鳳北町にある神社。和泉国大鳥郡の式内社(名神大社)で、和泉国一宮。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。全国の大鳥神社および大鳥信仰の総本社とされる[1]。
日本武尊は西征して熊襲を平定し、東征して東国を平定したが、伊吹山で病に倒れ、伊勢国能褒野で薨去する。遺体はその地に葬られたが、その陵墓から魂が白鳥となって飛んでいき、大和国琴引原で留まり、また飛び立って河内国古市に降りたが、最後に大鳥の地に舞い降りたので、社を建てて祀った。これが大鳥神社の始まりだとされる。神域は千種森(ちぐさのもり)と呼ばれ、白鳥が舞い降りた際、一夜にして樹木が生い茂ったと言われる。
延喜式神名帳記載の名神大社であり、とくに防災雨祈の祈願社として知られた。本殿は大鳥造といい、「切妻造・妻入社殿」という出雲大社造に次ぐ古形式を保っている。
現在の祭神は次の2柱。
日本武尊(やまとたけるのみこと)
大鳥連祖神(おおとりのむらじのおやがみ)
元来の祭神は大鳥連の祖神であるらしかったが、一時期天照大神が祭神とされるようになった。「和泉国大鳥五社大明神并府中惣社八幡宮縁起」によると本地仏は釈迦如来となっている。その後、日本武尊が祭神と考えられるようになり、これが定着した。これは大鳥神社の「大鳥」という名称と日本武尊の魂が「白鳥」となって飛び立ったという神話が結び付けられたために起こった習合であると考えられる。
大鳥大社 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』最終更新 2021年5月15日 (土) 11:10
上記の目黒の大鳥神社によると、
当社の酉の市の起源はとても古く、浅草の酉の市と並ぶ、江戸時代に始まります。
神事では、御神前に「八つ頭の芋」と「熊手」をたてまつります。
「八つ頭」は日本武尊が東征の時、八族の各頭目を平定された御功業を具象化したものです。「熊手」は尊が焼津で焼討ちの御難に遭われた時、薙ぎ倒した草を当時武器でもあった熊手を持ってかき集めさせ、その火を防ぎ、向火(むかえび)をもって賊を平らげ、九死に一生を得た事を偲び奉るためのものです。
ここから、古来より、「頭の芋」とも呼ばれる「八つ頭」は人の頭に立つように出世できるという縁起と結びつき、「熊手」は家の内に宝を掃き込むとか掻き込むという意味で縁起物として広く信仰を集めました。
これらから、消防、出世、商売繁盛を祈願されるようになったわけですね^^
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