茨城の石岡市周辺に行ってきました。
石岡市は常陸国の国府が置かれた都市。
中町通りは、電線類地中化でスッキリしています。昭和初期の看板建築の古い町並みですよ。
「丁子屋」江戸時代末期に建てられた染物屋(現在は観光施設「まち蔵 藍」)。
森戸四郎商店 昭和5年頃の建築。
「久松商店」 昭和5年頃の建築。右は、「福島屋砂糖店」昭和6年の建築。
「十七屋履物店」昭和5年の代表的な看板建築。
もっと古い建築物がいっぱいあるかと思いましたが・・・・ちょっと寂しかったかな。
その後、「常陸國總社宮」へ。
約1300年前の7世紀、現在の茨城県は常陸国と呼ばれていました。広大で海山の幸に恵まれたこの国は全六十余国のうち最上の「大国」とされ、常世の国とも称される憧れの聖地でした。
常陸国の中心地である国府があった場所が旧茨城郡、現在の石岡市です。茨城の県名はここに由来します。
総社
日本の律令制(7世紀後期(飛鳥時代後期)から10世紀頃まで実施)において、国司着任後の最初の仕事は赴任した令制国内の定められた神社を順に巡って参拝することであったが、平安時代になって国府の近くに総社を設け、そこを詣でることで巡回を省くことが制度化された。
総社とは、それぞれの律令国に鎮まる八百万の神々を国衙近くの一ヶ所に合祀した神社であり、全国で55社が確認されています。国司たちは総社を拝することで自らが治める国の数多の神々に祈りを捧げたのです。徳川光圀が『大日本史』編纂のために参照したと伝わる社宝「総社文書」は連綿と続く当宮の歴史を今に伝えています。
長大な歴史の波に翻弄され祭祀を中断せざるを得なかった総社もある中で、当宮は創建以来絶えることなく「国府の神祭り」を続けて参りました。その現在の形が最大の祭典である9月の例大祭です。地域を挙げて祝われるため「石岡のおまつり」とも呼ばれ、全国から数十万人もの参拝者が訪れます。
毎年9月に催行される例祭「常陸國總社宮例大祭」は「石岡のおまつり」とも称され、関東三大祭りの1つ。神社HPより。
随神門
残念ながら本殿・拝殿は工事中でした。
↓こちらが拝殿・本殿
↑拝殿・・・・昭和39年に参拝者の失火で焼失した茅葺の拝殿に代わり、昭和60年に復興奉賛会により新造された拝殿。左右の狛犬は筑波山、霞ケ浦を見渡せる西側に面しています。各種祭典や昇殿祈祷が行われます。正面入口からは本殿御扉左右に配された一対の白の大獅子をご覧になれます。神社HPより。
↓境内最古の建造物である本殿は平成28年に大規模修復を完遂し、人々の崇敬を益々集めています。寛永4年に時の領主・皆川山城守の命で建造された境内最古かつ最重要の建造物。三間社流造で銅板葺き。各所に十六菊花紋があしらわれています。石岡市の有形文化財に指定され、平成28年に大規模な修復工事を終えました。神社HPより。
神井 どんな日照りのときにも枯れたことはないそうです。
手水舎
巫女さんが一生懸命お掃除されていましたよ。姿勢&シルエットがキレイでした。
石岡市柿岡周辺だと思います。 八坂神社祇園祭かな。
提灯に灯がともると綺麗でしょうね。昭和っぽいです。懐かしい空気・空間です。
2016.7