2018.3 埼玉北東部の神社を訪れました。「調神社」参拝後、久伊豆神社へ向かいました。ナビ通りに行ったら、神社の裏側の駐車場へ。あちこちの神社へ参るとき、なんだかいつも裏側に行っちゃうんですよねー。
駐車場から神社表参道へ向かう途中、枝垂れ桜が綺麗でしたよ。
二の鳥居
一の鳥居は、元荒川に面していて扁額には「正一位久伊豆大明神」と記されてたようです。ちょっと時間が無くて一の鳥居から入れずに残念。。。。。。
参道にあった「雷神講」の石碑 どのような講だったのでしょうか?調べてみましたが分かりませんでした。
境内入り口 塀と大きな松の木が印象的です。
三の鳥居と拝殿
埼玉県加須市に鎮座する玉敷神社がかつて「久伊豆明神」と称しており、総本社とされている。祭神は大己貴命。埼玉県の元荒川流域を中心に分布し、平安時代末期の武士団である武蔵七党の野与党・私市党の勢力範囲とほぼ一致している。
なお、西側の荒川流域には氷川神社、東側の中川流域には鷲宮神社、利根川・江戸川流域には香取神社が多数分布している。by wikipedia
「伊豆半島」の「伊豆」とは関連がなさそうです。但し、「豆」は「魔滅(まめ)」に通じ、無病息災を祈る意味があります。 「豆」の付く神社は全国にいろいろとあるようです。
三ノ宮卯之助(1807~1854)の力石がありましたよ。(以前に桶川稲荷神社で610kgの大きな力石を見ています。)旧岩槻藩三野宮村(現越谷市)出身で、江戸へ出て勧進相撲をつとめ、江戸一番の力持ちと評判の力士でした。三ノ宮卯之助の名がのこる力石は、埼玉県内の他、千葉や神奈川、遠くは長野や兵庫でも確認。
三の鳥居をくぐると左側は池と立派な藤棚。右側に立派な屋根の手水舎。参拝者も多かったです。藤の咲くころは相当に綺麗そうです。
拝殿
当神社例祭に際して行われる神輿の渡御還御は、昔から雨がつきものだといわれてきました。そこで、せめて出発と到着のときだけでも屋根の下で、との考えから昭和39年(1964)に建造されたのがこの拝殿です。神社hpより。
・久伊豆神社(ひさいずじんじゃ)は、埼玉県越谷市越ヶ谷にある神社。越谷の総鎮守とされている。旧社格は郷社。
・宮内庁越谷鴨場と共に市の「環境保全地域」に指定されている。当社のほか、越谷市内に7社の「久伊豆神社」が鎮座している。
・創建は鎌倉時代とされている。神紋は立葵である。これは、近くに徳川将軍家が鷹狩などを行う越ヶ谷御殿があったことから、葵紋の使用が特別に許可されたものとされている。
・境内には、国学者・平田篤胤の仮寓跡とされる松声庵がある。
・境内の藤は県指定の天然記念物となっている。
・久伊豆神社は、埼玉県の元荒川流域を中心に分布する神社である。祭神は大己貴命(大国主)。
by wikipediaより要約
久伊豆神社 (越谷市) 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』最終更新 2019年1月3日 (木) 15:10
御霊水(ごれいすい)
手水舎の先、右手にあります。もとは境内の湧水でしたが、関東大震災の後地下の水位が下がり、自噴しなくなったため、現在は地下約250~300メートルの深層から汲み上げています。神社hpより。
拝殿脇から本殿へ
本殿
立派な拝殿・本殿です。
拝殿の奥にある建物。大国主命・言代主命など五柱の神々を祀りしています。寛政元年(1789)に建造された三間社流造りの本殿は、随所に精巧な彫刻が施された荘厳な佇まいの建物です。神社hpより。
本殿裏より
絵馬掛(えまかけ)(複製)
古来より、お願い事や感謝のしるしとして、神社に馬を奉納する風習がありました。これが転じて絵に描いた馬に代わったものが絵馬でございます。のちには馬以外の絵も描くようになり、当社においては平田篤胤大人奉納の大絵馬がございます。本殿の裏手には、その複製と皆さまの絵馬掛けがございます。神社hpより。
境内の池
調神社のウサギの次にカメさん。たくさん居ましたよ。
本殿の裏手には第二次世界大戦中、パラオ共和国コロール島に建立され日本人入植者などの信仰を集めた「南洋神社」をしのぶ「旧官幣大社南洋神社鎮座跡地遥拝殿」が建立されている。 久伊豆神社の本宗である伊勢神宮の南洋における分社であったことと、土屋義彦埼玉県知事(1992年 - 2003年在任)が遺骨収集団団長としてパラオを訪問していて交流が深かったことから建立が決まった。2004年4月11日の竣工奉祝祭にはパラオのトミー・レメンゲサウ大統領も出席した。 また、久伊豆神社先代宮司の
小林茂は、サイパン島の八幡神社を彩帆八幡神社として再建した。1980年(昭和55年)9月には現地で再建鎮座奉祝祭が行われた。神社hpより。
池を見下ろす「御合神社」。あまり聞いたことのない神社だったので調べてみましたが良く分かりませんでした。
祖霊社
木遣り歌碑(きやりかひ)
木遣りは、労働歌の一つ。御神木などの建築用木材を運ぶ際に唄われました。越谷の木遣りは文献などによると江戸開府以後当地に伝えられたとされ、上棟祝儀等に歌われていましたが、主に久伊豆神社祭礼の練歌、山車の曳歌として伝えられてきました。この記念碑は、木遣りを継承、保存する「越谷市木遣保存会」により建てられたものです。神社hpより。
いや~、良い空気・空間の神社でした。
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