小田原・久右エ門(きゅうえもん)みやげ店販売の「箱根木象嵌細工/ 額装」です。
「安次」と作家名が書かれていますが、ググっても全く分かりませんでした。
「箱根の木象嵌細工」も調べてみました。それにしても、とても繊細で美しいです。
安次作 木象嵌細工 木画 箱根 伝統工芸 額装(木画部分190mmxH240mm)
寄木細工と木象嵌の違い
「象嵌(そうがん)」・・・象(かたど)り、嵌(は)めるもの。地となる木を模様となる形にくり抜いて、そこにぴったりと違う木を嵌めて行く手法。木片を嵌めることで一枚の「絵」となっていく。
「寄木」・・・木片を寄せて集める、というもの。三角形や四角形など、ごく単純な形の木片を集めて模様の基本単位を作り、その基本単位を単独、または他の基本単位のものと組み合わせながら大きな模様に展開していく。簡単にいうと、金太郎あめの原理を使って、模様を組み合わせることで集合体としての「絵」となっている。
しかしながら、この二つはこのように製作の過程が全く異なるにもかかわらず、製品となったものを見た時にその区別が大変難しいことから、同じものと誤解されやすいのです。
・寄木細工は、箱根の伝統工芸として200年の歴史を持っている、日本独自の技術と言えます。
・木象嵌は古代オリエント文明に発祥されたと伝えられ、およそ3000年から4000年の歴史のある世界的な技術です。
現存する最古の木象嵌作品は、紀元前13世紀に遡りツタンカーメン王の副葬品であるスツールであり、こちらはエジプトの博物館で今もみることができます。日本の木象嵌は、飛鳥時代にシルクロードを経由して伝えられたものが中国より渡ってきました。
正倉院の宝物の中には、この時代に製作されたものが今も残っており、「木画」と呼ばれて、展覧会などで一般にも公開されています。
「箱根の木象嵌」
・箱根の木象嵌は、それまでの木象嵌技法の主流である、「彫込み象嵌」の技法とは異なり、明治時代に入ってから発展した機械を用いた新しい技術です。
明治時代、産業革命によってもたらされた機械化の文明は、縫製ミシン、そして糸鋸(いとのこ)というマシーンを日本にも登場させていました。
そして、白川千石という木象嵌師によって、より早くより大量に木象嵌の製作が行えるようこの二つのマシーンを合体させた機械、「糸鋸ミシン」が箱根の地で作り出されます。
この糸鋸ミシンを使い、寄木細工で培ってきた技術を進化させた「箱根木象嵌」は、明治中期以降、輸出雑貨の大きな柱として世に広まり、それは、極めて高い職人の技術によって支えられて来ました。
箱根の木象嵌は、その精緻な技術よりもむしろ、機械を用いた量産化に重きを置いたため、結果として価値が下がって伝えられているのではないでしょうか。
価値の下落は、技術の継承を滞らせ、木象嵌師と呼ばれた職人も次々と消えているのが現状のようです。
そして知名度のある「寄木細工」の発展により、その陰に隠れているともいえます。