穴澤天神社を参拝後、近くの北辰妙見尊へ向かいました。ここも穴澤天神社と同様に非常に解り難い場所でした。何も標識や立て札が出ておらず、「この先行き止まり」の看板だけ(笑) 当たりを付けてその道を登って行ったらありましたよ。
妙見寺の隣に「妙見尊」の扁額の鳥居がありました。
登ります。モミジの紅葉がキレイです。
振り返ると稲城の町方面が見えます。登りきると・・・
開けた場所に出ました。ここもモミジの紅葉がキレイです^^
二つ目の鳥居の左側には祠と二十三夜塔と稲荷社
稲城市百村(もむら)の蛇より行事
この行事は寛文二年(1662)の春、諸国に疫病が流行した折に始められ、一時中断したことはあったが、以来疫病防止、降雨、五穀豊穣を祈願するため毎年欠さずに行われている。毎年八月七日、北斗七星になぞらえた百村の旧村民(現在は「竪神社奉賛会」会員)の中から選ばれた七名が、萱場から萱を刈り出し、これを奉賛会の全員が集まって長さ50~100メートル程の大蛇の形に撚り上げる。その後、妙見宮の階段に沿って置き、頭を山下の二十三夜塔の前に、尾は山上の社殿を取り巻くように安置する。蛇体の製作に併行して、妙見宮の別当妙見寺の僧侶によって読経が行われ、完成した大蛇は僧侶から開眼供養を受け、一連の行事は終わる。本行事では素材が萱という異色の大蛇がつくられる。その長さは50メートル以上と巨大であり、その製作にあたって仏教儀礼が併行して行われるなど他には見られない特色を有している。希少的な価値を持つ極めて珍しい民俗行事の一つである。(東京都教育委員会掲示より)
興味深い民俗行事ですね。神仏習合していますし。
「北辰妙見尊」扁額の鳥居の前のこれは一体・・・・
四天王のお名前が・・・
四天王(してんのう[注釈 1]、サンスクリット語:चतुर्महाराज caturmahārāja[要出典])は仏教観における須弥山・中腹に在る四天王天の四方にて仏法僧を守護している四神(東方の持国天、南方の増長天、西方の広目天、北方の多聞天)[1]。四大王(しだいおう)ともいう[2]。
四天王は早くから日本でも信仰されていた。『日本書紀』によれば仏教をめぐっておこされた蘇我馬子と物部守屋との戦いに参戦した聖徳太子は、四天王に祈願して勝利を得たことに感謝して摂津国玉造(大阪市天王寺区)に四天王寺(四天王大護国寺)を建立したとされる[注釈 2]。
四天王 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』最終更新 2020年8月1日 (土) 00:38
鳥居をくぐり、更に登ります。
竹林がよい感じです。
更に登ります。
拝殿に着きました。
手水社
立ち上がった龍がカッコいいです。
妙見宮 北辰妙見尊
妙見菩薩(みょうけんぼさつ、旧仮名遣:めうけんぼさつ)は、北極星または北斗七星を神格化した仏教の天部の一つ。尊星王(そんしょうおう)、妙見尊星王(みょうけんそんしょうおう)、北辰菩薩(ほくしんぼさつ)などとも呼ばれる[3]。
妙見信仰は、インドに発祥した菩薩信仰が、中国で道教の北極星・北斗七星信仰と習合し、仏教の天部の一つとして日本に伝来したものである[4]。「菩薩」とは、本来「ボーディ・サットヴァ」(梵語:bodhisattva)の音写で、「菩提を求める衆生」の意であり、十界では上位である四聖(仏・菩薩・縁覚・声聞)の一つだが、妙見菩薩は他のインド由来の菩薩とは異なり、中国の星宿思想から北極星を神格化したものであることから、形式上の名称は菩薩でありながら実質は大黒天や毘沙門天・弁才天と同じ天部に分類されている[4][5]。
道教に由来する古代中国の思想では、北極星(北辰)は天帝(天皇大帝)と見なされた。これに仏教思想が流入して「菩薩」の名が付けられ、「妙見菩薩」と称するようになったと考えられる[6]。「妙見」とは「優れた視力」の意で、善悪や真理をよく見通す者ということである[7]。
中世においては、鷲頭氏、大内氏、千葉氏や九戸氏が妙見菩薩を一族の守り神としていた。千葉氏は特に妙見信仰と平将門伝承を取り込み、妙見菩薩を氏神とすることで一族の結束を図った[注釈 4]。千葉氏の所領であった地域にも必ずというほど妙見由来の寺社が見られる。千葉氏の氏神とされる千葉妙見宮(現在の千葉神社)は源頼朝から崇拝を受けたほか、日蓮も重んじた。
妙見菩薩 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』最終更新 2021年12月12日 (日) 12:48
千葉神社は、2021年9月に参拝しました。妙見信仰には私的に惹かれるものがあります。
更に裏手の山を登ると・・・・
「遊子(ゆうし)の里山」がありました。社会福祉法人東保育会が管理する里山のようです。冬の陽光を浴びながら作業されていました。とても空気・空間の良い場所です。
畑も^^
都心部の展望も良いですね~。
山を下りて、お隣の妙見寺へ。
妙見寺は、多摩丘陵の端に位置し、昭和の初期には高浜虚子氏が吟行会を催されたように句会等も行われるような静かで緑に囲まれた心の安らぐ場所で、山上の奥ノ院からは、多摩川や都心の高層ビル群やスカイツリー・東京タワーも一望出来る一面、京王線・稲城駅から又、中央高速・稲城インターを利用することにより首都圏にも近く、交通の便も非常に便利な位置にあります。
神王山・北辰妙見尊は、四十七代、淳仁天皇の天平宝字4年(760)に、伏敵祈願のために道忠禅師が勅命を奉じて尊星王の秘法(今の星供祭)を七日七夜に渡り修したところ、妙見菩薩が青龍に乗って現れ国難が消滅した。天皇は叡感せられ国主に命じて一宮(妙見宮)を建立したのが当山の開基であり、後の七十四代・鳥羽院の天永3年(1112)に領主は妙見寺を持って別当と定めました。これが当寺の開祖と古書・妙見寺縁起に記されています。奥ノ院は北辰妙見尊がご本尊で、寺のご本尊は阿彌陀如来、他に観音菩薩を安置しており、多摩川三十四ケ所観音霊場巡り第三十番札所であります。
妙見様は、国土・擁護・豊作・酒造・運勢・富貴・寿命・開運・厄除・身代わり等の守り本尊として、又、商売繁昌・縁結び・子育て・学問の神様として広く信仰され、太一北辰尊星といって諸々の星の上首であり、又、天御中主尊あるいは国常立尊とも申し、神仙の始祖、菩薩の最上、儒教では太一上帝として占家では大極元神と尊崇されております。
現在、妙見様に関わる行事は、神化祭、蛇より祭、星供祭があり、特に蛇より祭は、雨乞いと疫病除けの為に村人が青茅で編んだ青籠を作り妙見宮への参道に奉納する行事で、市の指定文化財であり、平成4年には東京都の無形民俗文化財にも指定されています。他に、山岡鉄舟直筆の大幟一対が保存されております。
昔から、「武州・百村の北辰妙見様」と親しまれ、今では全国でも数少ない神仏混淆のお寺です。http://www.tendaitokyo.jp/jiinmei/myokenji/より。
モミジがホントにキレイでした^^
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