2022.2 霞ケ浦方面へ参拝に出かけました。鬮(くじ)神社、星宮神社、阿彌神社2社&室崎神社を参拝後、美浦村の楯縫神社へ。
一の鳥居 境内入り口
楯縫神社(たてぬいじんじゃ)は、茨城県稲敷郡美浦村郷中2988番地[1][2](旧信太郡木原村)にある神社。古名は信太郡一宮。式内社(常陸国信太郡、小社)。旧県社。美浦村信太にも同名の楯縫神社がある。
常陸国風土記の信太郡の条の普都神話[3]に描かれている、普都大神が楯を脱いだ地、すなわち「楯脱(楯縫)」の聖地とされている。木原の地名由来伝承には二説あるが、いずれも一帯が往古から豊かな森であったことを伝えている。普都神話の聖地の結び付きから竹来阿彌神社と関係が深く、往古は信太郡東西の総社として一宮二宮を称し、ともに永和元年(1375年)の円密院寺社供僧等言上状に「庄内第一之惣廟」と書かれた[4]。楯縫神社は信太郡一宮として、旧郡域一帯では筆頭の格式にあった。普都主命の神輿を霞ヶ浦を介して阿彌神社に渡御する古式祭(鹿島神事)も行っていた[5]。
主祭神 普都主命[6](普津主神、普都主大神)
由緒[編集] 社伝と別伝がある。また、創建については二説以外に紀元18年説がある[2]。
普都神話に創祀の縁起を求める。曰く、普都大神は、葦原中国平定の後、木原で甲楯を脱ぎ、高来里で登天した。甲楯を脱いだことから「楯脱」の地名が生まれ、後に「楯縫」になった。社地には「楯脱山」の地名が残る。
楯縫神社 (美浦村郷中) 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』最終更新 2021年12月16日 (木) 08:48
古事記には、「イザナギがイザナミが亡くなる原因となる火の神(カグツチ)の首をはねると、[刀剣に関わる様々な神]が生まれた。火の神からは山の神々が生まれた。」とあります。古事記には登場しませんが、この[刀剣に関わる様々な神]の関連が、ここの主祭神である普都主命(ふつぬしのかみ)です。香取神宮の主祭神でもあり香取さまとも呼ばれます。
信太郡東西の総社として一宮が楯縫神社、二宮が阿彌神社 (阿見町竹来)、との事ですが、両神社とも、とても似たような境内の景観、空気、空間でした。
二の鳥居
阿彌神社 (阿見町竹来)にとても良く似た参道です。
こちらの方が全体的に樹木の背が高いですね。
威風堂々 背が高いです。
拝殿
本殿
静かで厳かな神社でございました。
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その後、「かあさんの台所 地域産品直売所」で農産物を買い、霞ケ浦が見たくなって行ってみると・・・・神社が鎮座していました。
木原水天宮
こちら様のサイトを見ると、「木原の水神宮は、霞ヶ浦湖岸に数多く存在する水神宮、水天宮の中でもとりわけ印象的なものです。このように湖上に突き出た形で造られた水神宮は、私が霞ヶ浦をめぐって知り得た限りでは、この木原だけでした。」との事。なんとラッキーなことでしょう^^
霞ケ浦の先には、筑波山がキレイに見れていました。
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