15年以上Twitterをやっていた立派なツイ廃です。
(アカウント通算3つ目)
最初のころはリツイートも手動でRTって書かなきゃいけなかったし、
いいねボタンは「ふぁぼ」と呼ばれていたし、
しょっちゅうサーバーが落ちて、F5を連打しながらクジラをながめていた。
あのころはよかったなぁ、
とインターネット老害のようなことをおもってしまう。
ただみんなが純粋に呟きを呟いていただけの
ただ「いいね...」「うん...」って言い合うだけの
性別も住処も立場もわからないだれかに、ただ共感しあうだけの世界。
当時、不慣れな土地でワンオペ育児と仕事に追われて狂いそうな不安に押しつぶされそうな自分にとってはまさしく癒しだった。
大人なんだから、社会人なんだから、母親なんだから、自分で選んだ道なんだから
そーいうプレッシャーから唯一解放されたのが
当時のふんわりしたTwitteの雰囲気だった。
「よるほー」「おなすい」「ぽんぽんぺいん」
意味ないみんなのつぶやきが大好きだった。
当時、夜泣き戦線から早々に撤退を表明した激務の夫は別室で寝ていて、自分は明日仕事があっても起きてあやしてミルクを与えねばらならないという孤独。
私以外の誰かが夜中も起きていて呟いているそれだけでなんだかほっこりした。
それから15年、リアルで言えない仕事や子育ての悩みや趣味の話などたくさん呟いて
アドバイスもらったり勇気づけられたり。
45年の人生の3分の1だからすごい依存してたと思う。
でももういまは違う。
みんな立場を明らかにして、フォロワー数を気にして、出会いを求めたり、宣伝したりするツールになってしまった。不正確な情報や偏見の垂れ流しも多い。
正直おすすめやバズワードも企業のCMも鬱陶しい。
飲みたくないタイミングでコーヒーを何杯も勧められているような気分だ。
じわじわとしんどい。
最近読んだ、佐藤航陽さんの本「世界2.0」の序章にこんな文章があったんだけど
「テクノロジーは、当初は個人レベルで使われ、有名になってくると次に企業に使われ、最終的に政治に利用される」(雑な要約です)
的なことが書かれていて、
ああそうか、Twitterってもう「世間」に組み込まれてしまったんだなぁっておもった。
もはや自由なことが呟けない。
Tweet送信ボタンを押す前に、誰かを傷つける可能性を考えなければいけない。
なのに距離感のおかしいひとからは1ツイートごとにどうでもいいレスがつく。
返信にうんざりする。
もしかしたら「類は友を呼ぶ」ということで自分も距離感がおかしいのかもしれない。
そもそもTwitterって距離感気にする場所だっけ?
色んなことを考え出したらつぶやけなくなってきた。
でもモヤモヤは澱のようにたまっていく。
しんどい。
しんどい。
トドメはとある重要人物の殺人事件だった。
しばらくの間、お気持ち表明、考察、トンデモ推理などがTLに溢れた。
人の死は人の死であってそれ以上ではない。あなたもわたしもみんな同じ尊い命だ。
いままで何度も誰かの悲惨な死を知っていてもだまっていたくせに。その人の時だけ??
みんなでお祭り騒ぎのように「悲しむ」のか...と。うんざりした。
わたしは誰の訃報についても、目にして心の中で悼むがあまりツイートしたくない。
その人にしか知り得ない苦しみや孤独や事情があってそれがすべて無に帰すのだから、安易にしらん他人がわざわざ世界にむけてどうこう言う類のものでもないと思う。
でもそれはTLでつぶやけなかった。
もうしんどいとかではなく、わたしが「Twitterという世間に乗れない」っておもった。
だから2つ目の垢を消して3つ目の垢にした。そして今後は情報収集に徹するし
あまりみないと思う。
いままでわたしのTwitterにつきあってくれたひとたちどうもありがとう。
すごいだいすきでした。
そしてさようなら。