皆さん、評価経済と聞いてどのように感じるでしょうか?
平等に評価される世界?それとも実力をしっかり出せば評価される?
どちらも正解であり、不正解だと思います。
評価経済とは「評価」される「経済」ではなく、
評価に見合う実力を持つ者がより「評価」されるチャンスを得る世界だと考えています。
ALISだから、無名でも評価される。それは違うと個人的に考えます。
なぜなら、ALISというコミュニティーである以上、インフルエンサーの存在が
間違いなく出てくるからです。
よく考えてみて下さい。
小さい頃、小学校の時ですらクラスという小さいコミュニティーがあり、
班の長である「班長」、クラスの長である「学級代表」がいたと思います。
これは、決められたものだという意見があるかもしれませんが、別に普段の
友達と集団で遊ぶときもこの構図は決して変わりません。
人は集まったとき、どのような状態でもコミュニティーになります。
そこで、「遊びに行こうよ」と誘ったものが自然とリーダーとなり、その
コミュニティーを動かしていく事になります。
そしてその遊ぶ人数が増えれば増えるほど、その人の影響力は増していく。
そのうち彼は、リーダーではなくインフルエンサーに昇華していくのです。
どのようなコミュニティーのインフルエンサーにおいても、しっかりと地道な
活動をつづけた結果、共感を呼び、影響力を身に着けていった「結果」です。
経緯は人それぞれですが、この道以外にインフルエンサーにはなり得ません。
「ALIS」がコミュニティーである以上、フィールドは違っていたとしても、
地道に活動を続けていた人が現段階で「いいね」を多く集めています。
その意味で、「評価経済」という方針はぶれていないと考えます。
「それは決して違います。」
インフルエンサーである分、その情報の拡散能力は高いです。
普通の人よりも、より多くの人が、その記事に目を通すと思います。
ただ、それは影響力が強いだけであって、共感を得られない記事を投稿すると、
普通の人以上に反感を買い、倍以上の被害を被ります。
インフルエンサーの例で例えると、元ライブドア社長の堀江貴文氏やキングコングの西野氏が挙げられます。
彼らは紛れもないインフルエンサーですが、叩かれる時は猛烈に叩かれます。
インフルエンサーは普通の人より影響力が拡大しただけであって、「悪評判」
を取り除けるような便利なモノは持っていません。
あくまで、評価の指標の振れ幅が普通の人より大きくふれているだけです。
仮に、今いる「ALIS」のインフルエンサーを全員追放したとしましょう。
すると、しばらくは本当の意味で平等な戦いが出来ます。
ですが、コミュニティーである以上、また誰かが共感を得て、人気を獲得していきます。
また、ある人は斬新な企画を持ち込んで、たちまち人気者になっていきます。
何が言いたいか、
コミュニティーである以上、自然の摂理でピラミッドが出来ていくということです。
強制的にインフルエンサーを除去し続けると、コミュニティーの魅力がだんだんと薄れていき、最終的にそのコミュニティーから人は消えます。