臨海地帯の夕日に見とれているときにそのニュースを知った。「アフガニスタンで銃撃された日本人医師が死亡」
2001年、イスラム原理主義集団タリバンの支配下にあるアフガニスタンに入ろうとしていた時だった。9.11同時多発テロの起きる半年前で、世界がアフガンを忘れ去っていた頃。タリバンがアフガンを「7世紀のペルシャ」に戻そうとしていた。写真を撮ることも音楽を楽しむことも禁止。女性は人前で顔を見せることから教育を受けることまで権利が制限される、まさに暗黒の時代に、人道支援でこの国に入ろうとしている人々についていった時だった。
彼らは内戦で足を失った少女に義足を作るために、安全が全く保証されていないアフガニスタンに入ろうとしていたが、その少女だけでなく、医薬品が不足して多くの命が失われている現地の人々のために日本の医療機関をまわって使用期限が切れかかったか切れて間もない薬を集め、アフガンの人々に寄付しようとしていた。
薬を届ける先はアフガンで井戸を掘り続ける日本の医師、中村哲さん。現地の人々の信頼が厚く、支援のネットワークの要的な存在の人物だった。隣国パキスタンでタリバンと交渉し、ようやくアフガン入りできた義足支援チームが中村さんにコンタクトをとって日本からトランク一杯分も持ってきた薬の寄付を申し出ると、中村さんからは強い反応があった、拒絶の。
「期限切れの薬など受け取れない。失礼だ」
期限切れの薬といってもついこの間まで使用可能だったもの、体に害がないものを選んで運んできたものだった。そんな「苦労」は中村さんの厳しい言葉で打ち砕かれた。当初は中村さんの厳しさに反発を覚えたが、ほどなく考えを改めさせられた。支援とは何か、何もないよりはましという理由で(それでもかなり苦労したんだけど)期限切れの薬をアフガンの人々に届けて「助けた」と思ってはいけない。日本の被災地で同じことが出来るか…。
あくまで対等の立場で、現地の人々と汗をかきながら支える。自らの尊厳と他社の尊厳をあくまで対等に見つめる。当たり前のようでいて実はなかなか出来ないこと…。それを身をもって30年以上も示し続けた中村さんを待ち受けていたのが銃弾だったとは、こんな理不尽なことはない。医師としてというより、人の命を支える基礎である水を確保するための水路を作って多くの人を救ってきたこの人になぜ銃口が向けられなければいけないのか。
中村さんはもちろんこうした最期を覚悟されていただろう。部外者が理不尽だなんだと論評することも拒否されるのだろう。それだけの覚悟を示し続けた活動ぶりだった。彼を殺害した者は何を目的としていたかはまだわからないが、中村哲という人がどれだけ多くの命を救ってきたかはアフガンが、日本が、世界が知っている。