

御朱印フリークの皆様、参拝してますか?
総選挙も終盤となり、ラストスパートです。
ここは、最後の祈願として群馬県「妙義神社」参拝の記録を投稿させていただきます。
本社は白雲山の東山麓に位置していて、山頂への登山は「登山上級スキル」を要求されるようなかなり過酷な登山ルートのようです。
途中には所謂「鎖場」があって、危険な箇所がそこかしこに登場しています。
私は小学生のころに群馬県「岩宿遺跡」を発見・発掘したの相沢忠洋氏の記録を図書館の本で読み、考古学に憧れを抱いていました。
しかしながら、結果として全く異なった職(ネットワークエンジニア)に就いてしまったわけですが、そのときの憧れは今でも抱いていて、様々な本を読んだり人と話すにつれ、北関東地方が古代に非常に発展した文化を持っていたという確信を抱くようになりました。
関東地方の中心は江戸だ、東京だというのは歴史の中では比較的新しい話のようで、徳川氏が関東に移封されて開発が始まり、広大な湿地帯を現在のような人が住みやすい土地に改良するまでは、関東の中心どころか恐らく人が住むのにも苦労を強いられるような土地だったと思われる。
一方で、今の群馬県・栃木県・茨城県といったエリアは大和朝廷の北限の地に近く、政治的なこともあって、恐らく非常に発展した地域であったのだと思われます。
こうしたことから、そのなかで名社に数えられる本社に是非一度参拝したいと考えていたのでありますが、歳のせいか体重のせいか・・・ここ2年ほど最近膝の調子が余りよろしくなく、非常に過酷な階段続きとの噂もあって参拝を躊躇しおりました。
今回、2019年のGW連休に当たり、海外旅行などは恐ろしいほどの渡航費がかかるし、国内も旅費が高いなあと思っていたところ、群馬県内のビジネスホテルがGW後半であれば極めてリーズナブルである事実に着目し、これは膝のことを考えてもトライすべきではないか!と考えて北関東の雄である群馬県の神社巡拝を計画致したところです。。
妙義神社は群馬県でも代表的な名社であり、かつ多くの石段(神社発行の『参拝のしおり』によると、下から275段、最長の「男坂」165段)があるため、何度繰り返しても足りないくらいですが、二の足に二の足を踏みまくっておりました。
しかし、インターネット全盛の現代、様々な情報がネット経由で得られるようになり、いろいろと調べていくと、妙義神社には「女坂」という多少緩やかな坂が存在していることに着目し、男女同権の時代でもあるし、このデブが女坂経由で登ることもきっと妙義の「神」はお許しいただけるだろう、と勝手に決めつけてトライすることにしました。
妙義神社ウェブサイトによると、「道の駅みょうぎ」に大型の駐車場があるとの記述であるのですが、その駐車場からそもそもかなりの急坂を登らないと入口の総門にもたどり着けない事実が判明し、現場到着後に現地調査を繰り返し、総門下脇に民間駐車場を発見!
しかもポストのようなものに勝手に駐車料金を入れておいてね♪方式である事が分かったのです。(100円or200円程度)
特に白線が引かれているわけでもない空き地で、ほとんど停められていなかったこともあり、もっけの幸いとばかりに駐車させていただき、「ここをキャンプ地する!」と致しました。(水曜どうでしょう「ヨーロッパ・リベンジ」より)

喜ぶのはまだ早い。
これから石段が続くわけですが、古来からの石段保護のために、現代の階段と違って非常にガタガタ、石段毎の差も大きく膝の悪い私には非常に歩きにくい。よって、ウォーキング用ストックという名の要は「杖」をつきながら一歩一歩着実に進む。
総門は安永二年(1773)、今から約240年前につくられた国の重要文化財。修験道とか仏教の色が色濃く残る荘厳なつくり。
総門を越えると社務所があります。(御朱印はこちらで下付されるので、本殿参拝前にこちらで御朱印帳を預けておくのがおすすめ。)

問題はここから。
逃げ場のない階段攻撃だが、行くしかない。
銅鳥居まで急な階段があり、それを登ると本社の元々の「波己曽神」を祀っている「波己曽社」が鎮座しています。

神社の案内によると、ご祈祷をお願いするとこちらでの奉仕となるらしい。
いろいろ意味があると思うが、恐らく私やご高齢の方が本殿(ここから更に165段)まで行かないとご祈祷が出来ないといろいろと不都合がある、という理由もあるのではないかと思う。(お正月期間は本殿で実施らしいが。)

妙義山を祀る「中之嶽神社」の由緒によれば、元々「波胡曽神(はこそかみ)」を山の主として祀っていたところ、倭建尊(日本武尊)が勅命により関東御巡行の際に妙義山に登嶽したと伝えられているとのことで、それが本社に日本武尊を主祭神として祀っている理由ではないかと推察できる。
今回参拝できなかったが、この中之嶽神社のご神体である轟山には穴が掘られ、かつて草薙剣が隠されていたという伝説があるとされています。
確かに、日本武尊の記紀における伝記によれば、この時点では伊勢で叔母の倭姫命に受け取った草薙剣は、静岡県焼津付近で野火の襲撃を振り切って以降、恐らくまだ保持していたはずであります。(この後、愛知県名古屋市熱田付近で妻に草薙剣を預け、その後逝去することとなります。)
また、東京都豊島区にある「駒込妙義神社」という神社には、日本武尊が東征の際に、陣を構えたところであるとの伝承がある。
そうした意味では、全国の妙義神社に伝わる伝承を考えると、日本武尊伝承を後付けでとってつけたわけではないのであろうと想像することもできる。
妙義神社は、NHK大河ドラマ「花燃ゆ」で登場した楫取素彦(主人公の旦那・群馬県県令)の避暑地として使われたそうです。
周囲は杜に囲まれ、当日は5月初旬でもかなり暑かったのだが、ひんやりとした雰囲気に包まれていました。
苔むした境内の階段等を見ると、避暑地にはもってこいだったかもしれません。
四段ですが、平成26年10月8日に「14449 Myogizinzya(妙義神社)」という世界初の神社名のついた小惑星が国際天文学連合において誕生したそうです。(『妙義神社参拝のしおり』より)
<鎮座(所在地)>
群馬県富岡市妙義町妙義6
<社格等>
旧社格:県社
<御祭神>
日本武尊
豊受大神
菅原道真公
権大納言長親卿
<縁起>
信仰と祈願の社「妙義神社」
妙義神社は奇岩怪石で名高い妙義山の主峰白雲山の東山麓にあり、老杉の生い茂る景勝の地を占めている。
創建は「宣化天皇二年(537)に鎮祭せり」と社記にあり、元は波己曽の大神と称し、後に妙義と改められた。
古くより開運厄除、商売繁盛、学業児童、農耕桑蚕の神、火防の神、縁結びの神として知られている。
江戸時代は歴代将軍を始め諸大名の崇敬厚く、上野東叡山寛永寺の座主・輪王寺宮御兼帯御親祭の神社となり、その宿坊を宮様御殿と称した。
本社をはじめ境内の諸建造物は江戸時代初期から中期にかけてのもので、江戸時代建築の趣を持つ壮麗なものであり老杉の鬱蒼たる神域に輪奐の美を連ねている。また各所の石垣はその義公の巧みなることでも知られている。「妙義神社」参拝のしおりより
<公共交通機関>
JR信越線 松井田駅からタクシーで10分
JR信越線 磯部駅からタクシーで15分
<車>
上信越自動車道 松井田・妙義インターチェンジから5分
神社下「道の駅みょうぎ(みょうぎ物産センター)」に無料駐車場あり(総門まで徒歩10分程度)
総門下階段脇に民間駐車場(入口のポストに現金を投入にて支払い)あり(5-7台程度)
関東ふれあいの道(中間道)経由で総門脇の駐車場(赤門広場)まで進入可能な模様(足の不自由な方)
波己曽社下の社務所にて











