
ALISで2回目のカテゴリ開放で「御朱印」が開放されたときに、確かに神社参拝を20年近く続けてきて最近御朱印をもとめる方が増えたなあ、という漠然とした実感がありました。
平成から令和の時代になり、5月1日に明治神宮では御朱印最大10時間待ちとなったそうです。(その後メルカリに大量に御朱印が出品されて批判もされているようです。)
私は正直、御朱印がブームになっても参拝スタイルは変わりませんので関係ない!とも言えるのですが、でも多くの人が神社参拝に御朱印きっかけで関心を寄せてくれることは良いことだと思っています。(御朱印収集はスタンプラリーじゃない!とお怒りの方もおられますけれど。)
カテゴリ総選挙で「トラベル」にまとめられてしまった御朱印カテゴリ復活のチャンスと聞き、ゴールデンウィーク初日に参拝した宮城県多賀城市の「陸奥総社宮」をご紹介致します。
「総社(惣社・總社)」とか「総社宮」というのは、読んで字のごとく「関係する全部の神様を全て祀っている神社」です。
個人的に、この「総社」という存在は日本人の「ある種の合理性」を体現した存在で非常に興味があって、参拝旅行の際には必ずその地の「総社」「惣社」等を訪問するようにしています。
<鎮座(所在地)>
宮城県多賀城市市川字奏社1番地
宮城県多賀城市市川字奏社25番地(社務所)
<社格等>
陸奥国総社
旧社格:村社
<御祭神>
陸奥国31郡100社(大社26、小社85)の祭神
<御神徳>
心願成就、安産守護、海上守護、歳徳、武徳、大難除け
<縁起>
※社務所発行 『陸奥総社宮(むつそうしゃのみや)縁起(史都、多賀城めぐり)より 』
多賀城政庁東門跡地と加瀬沼との間に鬱蒼とした木立に囲まれて陸奥総社宮が鎮座されています。入口階段両側に数多くの神社名が列記されていますのが目立ちます。
神社の創立は今から1千年あまりにさかのぼります。神亀元年(西暦724年)多賀城に国府が創建されてから177年後は醍醐天皇の御代で年号は「延喜」でした。律令政治の基本法となる「延喜式(えんぎしき)」の編纂が始まった頃です。
醍醐天皇の勅命で日本全国の由緒正しい神社を選別して「神名帳(しんみょうちょう)」に記載し「延喜式内社」と称しました。
その数は3,132社、うち188社を大社、その他を小社に分別しましたが、参拝に不便なため、各国府毎に多くの祭神を1箇所に合祀勧請しました。これが総社宮と称せられます。陸奥総社宮は陸奥国31郡の100社(大社15、小社85の祭神)が合祀され奉り、国土鎮護の神として、多賀城国府と共に東北の政治・文化・軍事の中心的役割を果たした由緒深き神社です。多賀城国府が平安末期の10世紀後半頃で廃絶しましたが、陸奥総社宮は1715年(享保16年)に改築され、心願成就の神として歴代伊達藩主を始め世間一般から篤い信仰が続く一方、安産守護、海上守護、歳徳、武徳、大難除けの神として尊周されて現在に至っています。
神殿横には樹齢600年余の老杉と220年余の老白木蓮が対になっています。古人は長寿で仲の良い夫婦にみたて、家族円満幸せの神樹として”老杉(おおすぎ)に白木蓮の花化粧”と愛され、詠まれ、語り継がれてきました。
拝殿にある「疣(いぼ)取り神箸」と「安産枕」は今でも効果てきめんとか。
<公共交通機関>
JR東北本線 国府多賀城駅から徒歩20分
JR東北本線 陸前山王駅より徒歩30分
JR東北本線 塩釜駅より徒歩30分
<車>
三陸自動車道 多賀城ICから約10分
三陸自動車道 利府塩釜ICから約5分
GWでも天候の関係か、周囲は閑散とても閑散としていました。
上記の縁起にも記載されているとおり、入口両脇に本社に合祀されている100社の神社のリストが記載されていて、それぞれ鎮座地及び一部社格等も記載されています。
もともと一宮・二宮・三宮等のように一定の格付けをして、その地に赴任した国司が優先順位をつけて訪問していたのを、正直なかなか面倒だろうとそもそもの考え方と折り合いをつけて国府(県庁のようなもの)の近くに総社というその地域に祀られている全ての神様をお祀りして、ここだけお参りすることで全部にお参りしたことにする、というスタイルなのです。
逆に言えば、我々が総社をお参りすればあらゆる御利益にありつくことが出来る!という事にも繋がります。上記の写真を見ていただければ、どれだけたくさんの神様が一緒に祀られているかがおわかりになるでしょう。
このような合理性の中でも、まさに鬱蒼とした木立の中に存在し、何かありがたいものに包まれているかのようなそんな気分になれる素晴らしい神社であります。
さて、こちらの御朱印ですが、本殿向かって右脇の社務所では普段いただけないのではないかと思われます。(初詣や祭礼の際はこちらの窓口が開くのか?)
社務所の裏手に宮司さんのご自宅が繋がっており、こちらに伺うことで御朱印を頂戴できます。
当日、ご自宅に伺ったところ、入口の硝子窓の中のテーブルに「少々外出します」のメモ書きがあり、「あーこれは今日はいただけないのか?」とちょっと残念に思ったのだが、念のため呼び鈴を押してみるとご高齢のおじいさんが登場された。
御朱印をお願いするとちょっとまってね、とのこと。
恐らく宮司さんのお父君なのではないかと思われるおじいさんで、少し会話をしていると御年89歳のご長寿。恐れ入りました。
御朱印は、一応脇に見本を置きながら揮毫頂いたのだが、御朱印帳からはみ出さんばかりの豪快な文字で素晴らしい。
どこから来たの?との事でしたので「横浜から来ました」というと、それはわざわざご苦労様と言っていただき、しかも体型(かなりのデブ)を凄い凄いとこちらが恐縮するほど褒めていただきました。(もちろんお世辞とは分かっていても、褒められてイヤな気はしない。)
最近、御朱印を頂戴する方々が本当に増えましたよ、とのこと。
久々に神社の方と交流させていただいた参拝でした。