Mayuさん の記事を読んで少し考えた。
世の中の学校に行けない状態の子供たちは、そもそも学校に行きたいんだろうか。
まあ本当は行きたい子もいるとは思う、そういう子が行けない状態になっているのは残念なことである、何とかならないものなのかと思う。
しかし、僕がそういう子に対して言えることは特にない、何故なら僕は生まれてから一度も学校に行きたいと思ったことがないからだ。学校で嫌なことがあろうがなかろうが学校なんてものには少しも行きたいと思ったことがない、言い換えれば学校という存在自体が僕にとっては常に嫌なものだ。
つまり僕の言うことは、学校に行っていない、かつ学校に行きたいと思ってもいない子についての話である、学校には行きたいと思っている子については僕とはタイプが違うので残念ながらどうして良いかは全くわからない。
さて、僕は学校で意味不明な暴力などに晒されても学校に通っていた、しかしそれは学校に行きたかったからではない。単に、学校に通う以外の人生設計を知らなかったからである。小学校、中学校、高校、大学と進学し会社に入る、それが人生だと思っていたし、それ以外の生き方があるとは思っていなかった。
学校になんて行きたくなかったし、進学したいと思ったこともない、何なら小学生の時点から会社員にだけは絶対になりたくないと思っていた、だが大人になるということは進学することや会社員になることと同義だとも思っていた。
だから意味不明な集団行動や、能無しが幅を利かせる糞みたいな場所だとしても、そこに行くことが生きるということと同義だと思っていた。
生きることは何て面白くないんだ、毎日我慢してただ嫌な場所に通い続けるだけじゃないか、中学、高校、大学、会社、ずっと嫌々通うだけの毎日が人生だ、本当に嫌になる、というのが現在僕が引きこもっていることにも繋がっていると思う。
だが、これは僕の視野が狭かったのだと思う、別に学校なんて行く必要はないし会社員になる必要もない、僕は昔からあまり積極的に人と関わらない性分だったので自分の親以外の大人と親しく話した記憶がない、だから別の道があるということを知る機会が無かったのだ、もっと早く、所謂常識的だとされている生き方から離れて生きている大人の話を聞きたかった、どうしたらそうなれるのかを知っておきたかった。
しかし僕は気が付くのが遅すぎた、どうしようも無いほど遅くなってから気が付いたので気が付いたときには手遅れ感しか感じなかった、今の状態を見て欲しい、最早手遅れだ。僕は学校にきっちり全部通った、一旦は会社員にもなった、それがどうしたというのだ、だから何なのだ、そんなことに何の意味も無い。
僕にとって意味があったのは、早い段階でそうじゃない生き方を知ることだったのである、必要なのは学校に行くことなんかでは絶対になかったのだ。
だがそうは言っても現状、そうじゃない生き方をするための門戸が非常に狭いと感じる、それでもネットの普及などによって昔よりは広がっているのかもしれないが、それでもまだまだ狭い、社会が出来ることがあるとするなら、学校に通って会社に勤める以外の生き方への門戸を広げることだと思う。
そもそも学校に行くか行かないかなんてことは人生において大した問題ではない、その先どう生きるかということだ、学校に行かなくても如何様にしても生きれるとわかっていれば嫌なのに学校に行かなければなんて思わないで済む子もたくさんいるだろう、そうする以外に仕方がない以外の理由で学校に行きたい理由など何一つない。
とは言え本当に子どもにそれを進めて良いのかはわからない、僕は全部行った上であんなところに通う意味は何一つ無かったと言えるが、行ってなかった場合、行っていた人に行った意味なんて何も無かったよと言われてもどう思ったかわからない。
だが僕がこれほどにまで集団的社会行動が耐えられない程に嫌になったのは学校のせいが7割くらい確実にあると思うので行っていなかった方が良かったかもしれないとも思う。難しいところである。
何にせよ理由はなんであれ、学校に行くのが嫌で嫌でたまらないような人間にとって生きづらい世界が延々と待っていることだけは確かだ、彼らが何らかの方法でそういう世界から脱することを願ってやまない、僕は未だその世界の内側にいてどうにもならない。彼らにも僕と同じ世界が待っていることが決まっているのなら死ぬのを制止する言葉を僕は持たない、出来ることなら死ぬ以外の方法で少しでも早くここから脱して欲しいと思うが、そのための方法を僕が知らないのが申し訳ない。