1968年に始まったパンデミックは、1957年のパンデミックよりもさらに軽度でしたが、疫学的に独自のパターンを見せました。
パンデミックの最初の記録は、7月中旬にイギリスで発行された、中国南東部での急性呼吸器疾患の広範囲にわたる発生を報じた新聞記事でした。その同じ月に、この病気は香港に広がり、2週間で最大の強度に達し、50万人の症例を生みました。
最初の国際的な広がりは1957年にみられたものと似ていましたが、類似しているのはそこまででした。ほぼすべての場所で、症状は軽く、死亡率は低いものでした。ただし、アメリカだけは例外で、高齢者を中心に3万4000人の死者を出しました。このことが、このパンデミックの最も顕著な特徴の1つといえました。
日本はパンデミックの開始時にウイルスの流入があったものの、大流行には至りませんでした。
アメリカ以外では症状が軽度であったからか、ワクチンの準備は非常に遅れました。アメリカで流行がピークに達したとき、ワクチンはわずか2000万回分しか準備できていませんでした。
このことから、20世紀に起きた3回のパンデミックにおいては、いずれも、充分なワクチンを用意することが(結果として)できなかったということになります。