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「なぜ、レイプはおぞましい犯罪なのか」という問いに対する社会学者・大澤真幸の答え
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ALISはお金ではない
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2020/01/07 06:04
「われわれは、むしろ、次のように考えるべきではないか。人は潜在的に自身の身体が乱暴に扱われることを欲望しており、まさにそれゆえにこそ、こうした潜在的な欲望を文字通りに実現したかのように装うレイプは一層おぞましいのだ、と。だから、レイプの悪、レイプの犯罪性は、一般の犯罪や違背行為とは反対側にある。一般の犯罪や違背行為は、被害者の意志に反する行為と見なされる。それに対して、レイプは、ある意味において、被害者の潜在的な意志や欲望をそのまま外的な現実の上に実現してしまうがゆえに、一層悲惨な犯罪を構成することになるのだ。」(大澤 2008:396)
初めてこの記述を読んだ時、私は目を疑った。何言ってんだこいつ。と驚いた。
しかし、私と懇意になった女性たちに、「あなたにこんな願望ある?」と質問してみたところ、少なからずの女性たちが頷いた。
私はまたも驚いた。
ただし、質問の条件設定次第で、答えは変わるように思う。誰にいつどこで襲われたいのか。これらを私は厳密に設定せずに質問した。私の質問に答えてくれた女性たちは、あくまで質問者である私に、今、ここで襲われたい、と考えていた可能性がある。
大澤の主張は全否定することはできないものの、疑問に思う箇所が3つある。
1つ目は、他者が持つ「潜在的な欲望」をどのようにして大澤は特定することができたのか、という点。潜在しているものを大澤はどのようにして取り出すことに成功したのか。
2つ目は、大澤の主張を一般化することはいかにして可能なのか、という点。大澤は「人は」という大きな主語を用いて、「レイプされたい願望」を一般化しているが、どうして一般化できるのか。その根拠は何か。また、「人は」と述べた場合、女性だけでなく男性までも「レイプされたい願望」を持つということになってしまうが、私にはそのような願望は一切ない。なぜ自分の肛門に他人の一物を突っ込まれなければならないのか。どう考えても激痛ものである。自分が他人の肛門に突っ込みたいとも思わない。
3つ目は、仮に「レイプされたい願望」が個人に潜在していたとして、それが実現されると、なぜ「一層悲惨な犯罪」ということになるのか。願望が成就することは喜ばしいことではないのだろうか。この点のロジックが分からない。
これらも一般化することはできないが、「殴り合いの喧嘩をした後になぜか仲良くなってしまう現象」や、「怪我をすればするほど興奮して自分が強くなったような気持ちになる現象」や、「自分をいじる・虐める相手に親近感を覚えてしまう現象」など、暴力や侵害や傷に関する逆説的な帰結が存在することを、私は経験上知っている。しかし、「レイプされたいという願望が人に潜在しており、それが成就すると一層悲惨な犯罪となる」という主張は受け入れがたい。
恥ずかしながら、私は、上記引用文の前後の文章を読まないまま、この文章を書いている。上記の大澤による文章は、とある本からの孫引きなのである。大澤の上記主張が掲載された下記の本を読めば、私の疑問は雲散霧消するのかもしれない。
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自称小説家。窓から知念半島を眺めながら、いつも文章を書いています。ペイントで雑な絵も描きます。