ベイトソンを尊敬する者の一人として質問させて下さい。安冨さんは、学問や知を否定しているのではなく、魂を植民地化された人間が、承認としての高偏差値と学歴を取得するためだけに大学に入り、大学教授の中にもそのような人間が多く存在し、大学が関所と化している現状を、憂いているのですよね?
アダムスミス等の、現在では大家とみなされる研究者達が、業績作りのためではなく、他者からの承認を求めてでもなく、自分に自信をつけるためでもなく、「やむにやまれず否応なく内発的にのめりこむように研究を行っていたこと」に、安冨さんは以前、東大での無料公開講義でお話されていましたよね。
しかし、現在の日本における大学では、学問にそれほど関心のない人々が、他者からの承認を求めるあまり、大学に入学してくる。大学教授にもそのような人間がかなりいる。大学等なくても学問・研究したい人は勝手にやる、むしろ学問はそうやって行われるほうが望ましい、このようにお考えなのですよね?
かつて、湧き上がる興味や関心に基づいて、先人達によって勝手に自己本位に築き上げられてきた研究や知見が、大学で指導される知識として体系化され、他者からの承認に飢えた人間のプライドを担保するための教義・権威と化していることを憂うからこそ、「大学なんか行ったって…」と書くのですよね?
「大学なんか行ったって…」という今回の安冨さんの呟きは、誤っているわけではないと思います。安冨さんは己の主張を裏付ける具体的な事例を、大学関係者として多数挙げることができるでしょう。しかし、大学は、実質的に関所のような場所と化しているとはいえ、まだ可能性があると私は考えます。
その可能性の好例が、安冨さん、あなたです。あなたのような、学問を人間が生きていることの実態から説明できる人が、大学教授として大学に存在していることは希望です。なので、「大学なんか行ったって…」という書き方はしないで下さい。大学に行く価値はあります。あなたの講義は面白いです。
おそらく安冨さんは、承認を求めて高偏差値・高学歴を取得した自分自身、そして大学教授として存在している自分自身を、否定なされているのではないかと思います。しかし、そうする必要がないような社会・世の中を政治家として作り上げたらいいのではないでしょうか。あなたを心から応援しています。