ここでいう人生スタンプラリー論は、いわゆる巷で語られている、
「良い大学入って、良い就職先に入社して、結婚して温かい家庭を持つ」
ということではない。
Google検索で「人生スタンプラリー」と検索すると、上のような生き方を否定した記事がたくさん出てくるが、私がここで言いたいことの趣旨とずれてしまうので、ご留意頂きたい。
先日、バンジージャンプを飛んだ。
人生で一度はやってみたいと思っていて、時間のある大学生のうちにやっておきたかったからだ。
飛ぶ前は緊張や恐怖で頭がおかしくなりそうであったが、いざ飛んでみるとその爽快感と達成感で心身ともに満たされていく感覚を味わった。
けれど、もう一度飛びたいかというと、そうでもなかった。
一度経験したことに対して、満足してるという感覚だった。
そのとき友人と話していて、人生って結局スタンプラリーなのではないかという話になった。
バンジージャンプを飛んだ俺は、人生のページにバンジージャンプというスタンプを押したかったから飛んだのだと。
「この前この国に行ったから次はこの国へ行ってみたい」
「いわゆる名作と呼ばれる映画をみておきたい」
「ヒッチハイクとストリートライブをやってみたい」
「バイトで飲食と家庭教師やったから次は他の仕事をしてみたい」
もちろん人間は学習する生き物だから、「この前こういう人と付き合ってうまく行かなかったから、次はあんな人と付き合ってみたい」という思考もあると思う。
「◯◯をしたい」という欲求が、失敗を繰り返さないための選択であることもしばしある。
けれど、単純に「自分が人生でこんなにたくさん経験した」という充足感を得るためにしたいことが多くあるのではないか。
自分は色んなことに興味を持つけど、一度経験したら満足したり、結構すぐ飽きたりする。それは、経験というスタンプを押すことに満足しているからではないか。
よくよく考えてみれば、「機会があればもう一回やることは全然構わないけど、どうしてももう一回やりたい」という衝動が湧き起こることってそんなに多くない。
あくまでこれは私の人生観の話であり、善悪や優劣がつくものではない。
その中で、一個のスタンプでは満足できなかったり、もっと充足感を求めたくなるようなものに出会うことがある。
それが趣味だったり、やりたい仕事だったりするのではないか。
その出会いを求めて、幅広く色んなチャレンジをしていきたいと思う。