奈良旅行の話の続きです。
次に向かったのは、談山神社(たんざんじんじゃ)。
談山神社の名前の由来は、中大兄皇子(のちの天智天皇)と中臣鎌足(のちの藤原鎌足)が蘇我入鹿の暗殺計画の談合したということから来ている。
つまり大化の改新はここから始まった。
藤原鎌足の遺骨を、長男の定慧(じょうえ。唐から帰ってきた僧)が摂津国阿威山(大阪府高槻市)からここへ持ってきて、木造十三塔を造ったのが、談山神社の始まり。678年のこと。
次男の藤原不比等(ふじわらのふひら。実は天智天皇の私生児という説あり。日本書紀の編纂や、律令制度整えたり、活躍した人。)が本殿に父の像を置いたそう。
大化の改新ってどういう話だったっけ…登場人物名くらいしか覚えてないなと思いながら階段上る。
朱塗舞台造拝殿。舞台造っていうらしい。室町時代のもの。重要文化財。
下を見ると・・・・これってその当時からやってるんだろうか。
手水、くちばしがかわいくない。
本殿。元は飛鳥時代だが、現在のものは江戸時代に作り替えたもの。重要文化財。
拝殿の東西透廊。ここから紅葉、綺麗だろうなーーー!
拝殿から本殿を見る。
拝殿、すごく広くて、転がりたいくらい。壁沿いによくわからない展示物あるほど、広々。
中央の天井は、伽羅香木で作ってるそう。
天井の造り、天皇とか高位の人が使う建物で見かけるスタイル。
回廊長い。拝殿の畳の部屋も相当横長だった。
拝殿を出て、
十三重塔に向かう。
藤原鎌足の長男、定慧が、父の供養のために建てた。
現存しているのは、室町時代に再建したもの。1532年。
木造十三重塔としては現存世界唯一のもので、重要文化財。
これまた不思議な感じのする建物で・・・
見て、このぎっしり!!
間になんか棲みつきそう。
参拝者はちょうどいい具合にいたが、写真撮るのに邪魔になるほどではなかった。
この塔、立替っていったいどうやってって思うね。
この屋根のカーブとか、ほんと凄いよなとしばらく見てから、ちょっと進むと
パワースポットらしき場所があった。龍神社。
龍神信仰はやはり大陸からなんだねえ。
談山神社は桜と紅葉の名所らしい。
談山神社の周り全体鬱蒼としていて、その中に朱色の豪華な建物があり、わくわくする雰囲気だった。
参道に土産物屋が並んでいて、客引きも頑張っていた。
(奈良旅行記事、続く)